辺境系キャリアのレシピ 〜新卒即無職→海外就職→スペインMBA→?〜

34歳男性、2人の子持ち。2018年1月よりマドリード・IE Business SchoolのMBA学生になります。新卒即無職→バックパッカー→シンガポール就職→日本で外資IT企業日本法人立ち上げ第一号営業→MBA@スペイン

治らない大人の中二病と34歳子持ちのMBA留学について

2018年になった。1月18日にIE Business Schoolの入学式があり、僕は正式にフルタイムの学生になる。マドリードでの学生生活は1年半続く予定だ。2019年7月に無事卒業すると、僕の手元にはMBAを含む2つの修士号と1,000万円近い借金が残る。実際には3,500万円の住宅ローンもあるので、返済はもうちょっとハードな感じになる。

なぜ、34歳・2人の子持ちで日本にマイホームまで建てた僕が、仕事を辞め海外で学生になったのか。在学中には何をして、卒業した後どうするつもりなのか。この選択にはどういう意味があったのか。この機会に棚卸しておきたいと思う。

「何も成し遂げず年老いていく自分」への焦り

「どうして留学するのか」という質問に対し色々な答え方をしてきたけれど、何が一番の動機だったかというと「焦り」だ。何への焦りかというと「何も成し遂げないまま30代を過ごし、そのまま40代へ突入することへの焦り」。ちょっとお利口なサラリーマンとして、平々凡々と生きていくことへの焦り。

2012年末に4年間のシンガポール生活を終え日本に戻ってきたとき、まだ焦りはなかった。当時僕は29歳。「外資スタートアップ日本法人の立ち上げメンバー」としての仕事はすべてが新しく、面白かった。入社から2〜3年は、あっという間に過ぎた。営業職としては良い結果を出すことができ、毎年二桁%の昇給があった。2013年の年収がたしか860万くらいで、2年目からは1,000万を超えた。2014年5月に長男が生まれ、ちょうど同じくらいのタイミングで千葉に家を建てた。

焦りが生まれ始めたのは働き始めて3年がたつころ、2015年の末くらいからだ。2015年の10〜12月の四半期は売上が思ったように作れず、僕は4時起きの始発通勤を3ヶ月繰り返した。その四半期のノルマは落としたが年度前半の貯金のおかげで2015年の年間ノルマは達成し、僕は「APAC Commercial Top Sales」という賞をもらった。2016年の2月に、会社がご褒美旅行でハワイ・マウイ島のリッツカールトンに連れていってくれた。
僕は燃え尽きていた。燃え尽きた状態の僕は、プールサイドでマイタイを飲みながらぼんやりと考えた。「自分はこれを繰り返して30代を終えるんだろうか」「これを繰り返した先の人生には何が待っているんだろうか」。

平たく言えば、一定期間ごとにリセットされる売上ノルマを追い続けることが営業お仕事である。ノルマを達成し続ければ、見返りに高い給料や昇進が与えられる。外資の営業として登り詰めると「Country Manager」や「VP of Sales」といった肩書きの仕事をすることになる。そのくらいのポジションになると株式やストックオプションを併せると年収が1億円を超えることも珍しくはないし、スタープレイヤーは一営業としてそのくらいの金額を稼いでいる人もする。
僕は思った。「僕はトップオブトップにはなれないかもしれないが、そこそこ稼ぎの良いサラリーマンして家族を養っていくことくらいはできるだろう」「しかし、営業のプロフェッショナルとして日本で生きていくというのは、自分のやりたいことなのか?」「その生き方に満足できるのか?」。答えはNOだった。

目の前に続いている道が「これじゃない」に変わった瞬間だった。

突然の天啓「アフリカ」

高い給料も、組織の中での出世も、自分の血がたぎる対象ではない。だとしたら、何をしたらいいのか?国内での転職や起業で、僕の厨二病は満足させられるのか?

それらは早々に候補から消えた。転職といっても、給料を維持しようと思ったら同じ業界で同じようなプロファイルの同僚と同じようなお客さんを相手に商売することになる。会社や商材が変わるだけで同じことの繰り返しだ。そもそも、「日本で」という時点でどうにもワクワクしない。

ふと、2014年にシアトルのカンファレンスで見た、ハンス・ロスリング氏のキーノートを思い出した。彼が巨大スクリーンに映し出した人口動態のアニメーション。「日本の人口は減り続ける。中国やインドの人口は増え続けるが、人口増加のカーブは次第に緩やかになる。アフリカの国々だけが、21世紀を通じて爆発的に人口を増やし続ける」。

アフリカ。子供が減り、老人ばかりになっていき元気を失う日本と真逆の場所。ここで今後数十年のキャリアのベースを作るのが、自分にとっての次のチャレンジだと直感した。図書館に行き、アフリカに関する本を大量に借りてきた。毎週末、図書館にに通った。日増しに、アフリカへの思いが募っていった。

ビジネススクールという「アフリカへのステップ」兼「失敗時の保険」

いくらアフリカに憧れたからと言って、いかんせんアフリカは遠い。とりあえず南アフリカへ旅行で行ってみようと2週間の有休申請をしたが、上司に「数字を追わないといけないのに2週間も休めるわけあるか」と却下されてしまった。

勉強をしたことでわかってきたこともあった。アフリカには、日本にいたら想像もできない問題が山積みである。地域による発展状態の違い、独裁と汚職、民族紛争、インフラの未整備、不十分な教育環境と教育水準、恒常的に高い失業率…僕がポンと入っていって、すぐに家族を養える稼ぎを作れるとは考え難い。

そこで思い当たったのがビジネススクールへの進学だった。ビジネススクールであれば「MBAを取るため」という大義名分でキャリアの猶予期間を得られる。この期間に、どうやってアフリカにチャレンジするかの計画と検証ができる。海外のビジネススクールであれば、地理的にもアフリカに近くなる。
また、アフリカへの挑戦に失敗したとしても、いわゆる「トップスクール」でMBAを取っておけば高給のサラリーマンに戻ることができるという選択肢が残る。(この「トップスクール」というのが重要で、最初とても興味のあったUniversity of Cape Townは候補から外さざるをえなかった)

決めてしまえば、あとはやるだけなので簡単であった。幸い勉強はそこそこ得意なのでIELTS, GMATといった試験はどうにかなったし、エッセイや面接なども仕事をしながら睡眠を削って乗り切った。

さて、僕は何を「成し遂げる」のか

そんなこんなで、2017年5月に第一志望のIE Business Schoolへの合格が決まり、12月には正式にマドリードに引っ越した。ここからの1年半で、30代後半以降の人生の大枠が決まる。家族を養いつつアフリカへの基盤を整えられるのか、それとも日本に戻ってサラリーマンを続けることになるのか。

それはそれとして、元々の問いを忘れてはいけない。僕は何を「成し遂げる」のか。
僕がアフリカで事業を始め、それがアフリカの人々の生活を潤し、僕が金持ちになったとして、それは「何かを成し遂げた」と言えるのか?そうでは話ではない気がする。

「何かを成し遂げたい」「何者かになりたい」普通は成長の過程で大なり小なり折り合いを付けていくはずの何かを、おっさんになっても捨てきれないと本当に大変だと感じる。

ただ、具体的な方法はわからないけど、なんとなくこういうことがしたいんだよなーというのはある。「僕の子供たち、僕の子供たちと同世代の子供たち、これから生まれてくる子供たちが、自分の将来を明るく思える未来を作ること」「大人になるって悪くないな、自分も頑張ろうと子供たちが思えるような後ろ姿を、僕を含めた大人が見せられる状態でいること」。

僕が座右の銘にしている言葉が2つある。

  • If you put your mind to it, you could accomplish anything.
  • Nothing ventured, nothing gained.

この2つの言葉を組み合わせると「欲しいものがあるなら、リスクを取って挑戦するしかない。そしてそれが心からの願いなら、必ず実現できる」となる。
僕は死ぬまでこの言葉を信じ続けたいし、人から助言を求められたときに同じことを伝えられる人間でありたい。

「成し遂げる」というのはきっと生き方のスタンスの問題で、生きている間に何をしたのかはその装飾なのだと思う。そういう意味で、苦しい「何かを成し遂げるための旅」は死ぬまで続いていく。せめて楽しい顔をして進んでいけたらと思う。

留学で失うものと得るもの

僕みたいに「コンサルに転職してたくさん稼ぎたい」みたいな動機を持たない人間からすると、金銭面でのリターンは正直見えない。家計の貯金1,000万を使いきり、追加の借金をこさえ、稼がない期間を2年近く作り、いいとこなしである。さらに、子供の世話を妻と妻の両親にすべて任せスペインで過ごすことで、家族には負担をかけるし僕は家族と一緒にいられなくて本当に寂しい。自分は一体何をしているのかと思うこともある。

そうは言っても今の自分に満足しているのは「目の前にある道を惰性で進んでいく」という選択肢を選ばなかったこと。リスクを取って、新しい生き方を選択したこと。賢い選択肢とは言えないけど、人生迷子としての筋を通したこと。

総括と今後への抱負

1年半という期間は、本当にあっという間に過ぎると思う。終わったときに、この選択が自分の人生や家族の人生にとって良いものだったと思えるよう、優先順位、即ち時間の使い方を意識して活動していきたいと思う。家族をはじめ多くの人に多大なる迷惑をかけて生きることになるが、どうにか30代をサバイブして、後輩たちに「やってみなよ」って言える自分でいられたらと思う。