辺境系キャリアのレシピ 〜新卒即無職→海外就職→スペインMBA→?〜

市川慶です。3児の父。IE Business School MBA。外資ITセールスという名の傭兵稼業10年目。日本の20代30代の年収を倍増させるべく、ルーキー傭兵のリクルーティングと練兵をライフワークにしています。気軽にご相談どうぞ。

誰もが余裕を失うこの国で、分断はもう埋まらないと思う話

菅新政権が誕生した。スローガンは『国民のために働く内閣』らしい。

www3.nhk.or.jp

 

 

「国民」という言葉の欺瞞

スローガンを見た僕が最初に思ったことは「国民って、誰?」であった。

おそらく意図としては、「政治家」とか「既得権益」とかに対する「国民」のために働くということなのであろう。あと「ウイルスとの戦い」という意味合いもあるようだ。

だが、その国民というのは既にまったく一枚岩ではない。

同じ「国民」であっても、(経済が成長していかないという前提を置くとだが)「あちらを手厚くすればこちらが割りを食う」という構図があり、必ず国民同士で対立する。そしてたぶん、最初に割りを食うのは現役世代である。だいたい新型コロナウイルスからして「老人は死にやすいけど若年層には低リスクなのに、自粛を強制されて生活が困窮している」という話があるくらいだ。

 

今回のエントリーでは、ここ最近僕がずっと考えていたことを文章に落としてみた。ロジックの綻びとか視点の不足とかはあると思うけど、一応思考の流れや感じてることの全体感はまとめられた気がする。ブログで備忘録ってのも恥ずかしい話だけど、公開しておくのでよかったら読んでみてほしい。

 

世代間の分断は加速する

高齢化と少子化が止まらない。止めることが不可能なのは明らかで、正しい質問は「それがどのくらい早く進むか」だ。僕は「僕らが想像できるよりずっと早く進む」が答えだと思っている。そして少子高齢化は、世代間の分断と対立を呼ぶ。

 

今回は、以下の3つの世代に分けて考えたい。

1. 引退世代

より長く生きる。長く生きるほど生活費と医療と介護に国の金を消費する。原資は現役世代が国に納める税金や社会保障費である。

2. 現役世代

引退世代を支えるため社会保障費が上がるので、賃金は横ばいだとしても可処分所得(要するに手取り)が減り続ける。将来への悲観・生活の困窮化に加え、出会いの減少や、LGBTQのような人工再生産に直接つながらない価値観の普及により、少子化は加速する。

3. 将来世代

将来の現役世代である。この世代は現時点ではまだ扶養されてるか場合によってはまだ生まれてないんだけど、とにかく、人数が減る。ガンガン減っていく。少なくなった頭数で、増え続ける引退世代をいずれ支えないといけない。普通に無理な話である。

 

内閣府厚労省の資料を見ると、過去数十年に渡りとんでもない勢いで社会保障が増加していることがわかる。これを続ける限り現役世代が貧しくなっていく。

 

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高齢者福祉に必要な金額 ≒ 現役世代の負担額は右肩上がり

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出生数は減少の一途を辿っている

現役世代内は、子育ての有無によって分断される

次に、僕は現役世代の中でも分断が進むと思う。そしてその分かれ目は子供を持つか持たないかだ。

 

これは分断の切り口としてあまり語られない視点だと思う。この視点で話をすると世代内の格差に言及しないといけないし、「多様性」「生き方の選択の自由」といった現代において重要なトピックにも干渉することになるのが理由だと思う。

でも、僕はちゃんと表に出して考える必要があると思う。この国が抱える問題の根元が「高齢化」と「少子化」である以上、子供を持つか持たないかの問題に言及しないのは片手落ちだと思うからだ。

 

そしてここでキーになるのは、子供を「持つか持たないか」という意思決定をしたわけでもなく、普通に生きてきた結果、結婚しない人生を歩むことになる人々の存在だ。

 

子供を持つことを「想定できる層」と「できない層」

子供を持っている人間の多くは、一定の条件を満たした者たちだ。別に結婚しなくても子供は持てるが、出産の瞬間にシングルマザーである割合は非常に低いと思うので結婚を前提に考える。

 

子供を持つことを想定できる層
  • 出会いが存在する環境、ないしは出会いのきっかけを作り出せる行動力
  • 出会いから交際を経て結婚にたどり着けるだけの容姿やコミュニケーション力
  • 「子供を持つ」という意思決定ができる程度の現在の経済力と将来の所得上昇見込み

 

現代日本では基本的に恋愛を経ないと結婚にたどり着けないので、たとえば以下のような条件の人はそもそも「結婚」が人生プランの想定に入らなかったりする。

 

子供を持つことを想定できない層
  • 出会いの存在しない就業環境、出会いのきっかけ作りに対してシャイな性格
  • 恋愛経験の少なさやコンプレックスから異性とのコミュニケーションが苦手
  • 経済的基盤や将来の稼得見込みが弱く、子供を持ち、育てるイメージが持てない

 

こうして現役世代が2つに分断されると、いくら子供を持っている人や持ちたい人が「子育て支援を」とか「不妊治療に補助金を」とか叫んだところで「想定できない側」の人たちはそれを冷ややかな目で見るわけである。恵まれた立場の人間が勝手に苦労してるのに、何を助け求めてんねんと。

 

一方で子育てしている側は、子供を持たない人生を選んだ場合に比べて数千万円というお金と何万時間という自分の時間を子供に投入することになるわけである。「独身で気楽に生きてきた人間が、どうして社会保障の面では子供を育てた人間にフリーライドしようとしているのか」という気持ちになる。

 

要するに、どっち側もいっぱいいっぱいで余裕がないのである。

 

「多様性」や「生き方の選択の自由」は少子化を加速させる

上記のように「本当は結婚して子供を持ちたいが、するための条件が揃っていない人」も存在するが、それ以外に、自らの意思で子供を持たない生き方を選択する人もいる。たとえば同性のカップルであったり、キャリアやその他の価値のために結婚や子供の優先順位を下げた結果たまたま未婚の人生になった人たちも含む。

 

「結婚は何歳でしてもいい」「子供を持つのはキャリアや生活が落ち着いてから」といった「生き方の選択の自由」の尊重は、結婚する年齢・子供を持つ年齢を引き上げる。生物としては男女ともに若ければ若いほど妊娠しやすいので、高齢になるほど不妊に直面する確率は上がる。

 

同性愛者であっても無理やり異性と結婚させて子供を作らせていたような昭和の価値観が正しいとは僕は思わないしそんなやり方に戻せるとも思わないが、このトレンドが少子化の加速に貢献しているのは間違いないと思う。

 

「子供を持たない生き方」をする人は増え続ける

「結婚や子育てと縁のない生き方をする男女」はこれからますます増えると多くの識者が予想している。

2050年には男性の1/3が生涯未婚になるという予測もあり、また結婚したカップルのすべてが子供を設けるわけでもないので、「男性の4割が生涯子供を作らない」という状況がありえる。完全なる同世代の分断である。

 

これに関してはいろいろ記事を読んだが、以下の記事の中のチャートが個人的に気に入った。

 

www.nippon.com

 

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一次関数的な伸びが緩くなるチャート、なんか怪しくない?

 

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世帯数のバランスは逆転、単身世帯が多数派に

こうして自ら選択したかどうかにかかわらず子供を持たない人生を送る人が増えてくると、「大人になったら結婚して子供を持つべきだ」といった規範が弱くなってくる。

 

そうすると、子供を育てている側はますます「子供を持たない人生を送っているやつらはワガママだ」と思うようになり、子供を育てていない側は「勝手に子供作って育ててるくせに何偉そうにしてんの」と思うようになる。

 

少子化は止まらないし分断も埋まらない、じゃあ、どうしたら?

基本的には、どうにもならん。なんか夢みたいなことが起これば別だけど、夢は夢である。

 

夢のような、夢でしかないシナリオたち

・老人が大量に死ぬか、社会保障が大幅に削られて現役世代の負担が減る

・突然現役世代男女が大量に子供を作り出す

・突然、大量の若い移民が押し寄せてきて、全部受け入れて、平均年齢が若返る

・突然みつかった地下資源とか、すごいイノベーションで輸出が爆増し経済が大きく伸びる

 

個人は何をしていくのか?

抜本的な解決は望めない。一方で、誰もが必死なので、『分断』を超えて支えあうというのも難しい。 

 

全体最適を達成するのは無理なので、もう少し小さい単位、たとえば個人とか家族とか、可能であれば分断化された各グループごとで期待値が最大になるような意思決定を行っていくしかないのだと思う。

 

僕は何をするのか?

自分の能力のなさ、だらしなさを日々不甲斐なく思って生きてる身からすると、とりあえず3人の子供たちがどうにか育っていけるようサポートできたら及第点だろうな、とは思う。

一方で、そうやってどうにか生き抜いたことを誇れるほどにまだ達観できてもいないな、と思う。どうにか、自分の世代と将来世代が希望を持って生きられるような貢献ができないかとずっと考えている。