衰退国では自分で自分の身を守るしかないと思う話
9月に『誰もが余裕を失うこの国で、分断はもう埋まらないと思う話』というエントリーを書いて2ヶ月半が過ぎたが、確信は揺るがないものになるばかりである。
※ 本エントリーは、年収500万円までくらいの、30歳±6歳くらいの人を対象に書いてます。
既にバリバリ稼いでる人はあんまり得るものないかも。ここで読むのやめてもいいよ。
『分断』は国の衰退の副産物である
国民を守れないくらいに『国』が衰えてきている。
従来、日本という国は「現役世代が懸命に働き税金を納め、それを国が高齢者や子供等の弱者に再分配する」仕組みとして機能してきた。少なくとも、僕はそう理解してきた。
しかし、その仕組みを今後も長期にわたって維持することは不可能である。ここ1〜2週間だけを振り返っても、政府が『高齢者向けの福祉』と『子育て世代向けの補助』の両方を削る検討を進めているというニュースが話題になった。
一番の理由は、人間が、国が元々想定していたより長生きするようになってしまったこと。収入がなく、介護や医療にお金のかかる高齢者を支えるためのコストが膨らみ続けるため、システムへの負荷がどんどん大きくなっているのである。そこに、少子化による現役世代の減少が追い討ちをかける。長寿化と高齢者を支えるお金の関係は、以下のブログがとっつきやすかったのでおすすめ。
国が守ってくれないので、『分断』が生まれる
国からのメッセージはクリアだ。「システムはもう維持できないから、あとは自分たちで頑張ってね」だ。
みんなと同じようにやっていれば「普通の生活」を送れる時代は終わった。正社員として長期にわたり企業に勤め、どこかのタイミングで結婚し子供を作り育て上げ、定年退職した後は死ぬまで年金で暮らす、そんな人生は僕らの前には待っていない。
『自分で頑張る』ことでどうにかできる人間と、頑張ってもどうにもできなかった人間やどうにかしようと思えない人間、その間に生まれるのが『分断』である。
大事なのはとにかくサバイブすること
自分の身は自分で守るしかない
国は匙を投げた。ここからの数十年、自分で自分の身を守って生きていかなくてはならない。もし結婚して配偶者や子供を持つ場合には、自分だけでなく家族も守っていかないといけないし、大変だ。
嘆いていてもしょうがない。どうにかするしかないのだから、どうにかするしかないのだ。でなければ、この世を恨んだまま年老いて貧困のまま死ぬだけである。
分断が避けられないのであれば、なんとか分断の「あっち側」へこぼれ落ちなくてすむ工夫をしなくてはいけない。
そうは言っても、道は険しい。過去数十年にわたり、日本人男性の平均年収は横ばいである。(女性は上がっている)その間に消費税は上がっているし、各種控除が消え年金負担や社会保険料も増えているので実質所得は減っている。
ひとまず安心できるライン、年収600万円
そんな中で「自分の身を守れる」カネっていくらくらいなのだろうか。今回は、年収の観点から考えてみたい。
転職サイトの調査によれば、20代の平均年収は348万円、30代の平均年収は444万円らしい。
一人で暮らしていく前提であれば、たぶん平均年収くらい稼いでいればどうにかなるんじゃないだろうか。でも結婚して子供を持って、という人生を想定するなら、それでは心許ない。
だいたい、結婚できる可能性からして、年収と密接な相関がある。特に男性の場合は。低年収だと、結婚したいと思っても生涯未婚で終わる可能性が高くなる。以下のグラフを見ると、年収500万円、600万円あたりまでは未婚率のグラフがほぼ真っ直ぐに下がっていく。
男性であれば、30代半ばまでに年収600万円あると、結婚にあたって年収がネックにならないと言えそうだ。
年収を増やすには、結局本業を頑張るしかない
収入を増やすための選択肢の多くは実現可能性と再現性に乏しい
さて、どうやって年収600万を実現するか。そのためのルートは、実は様々ある。しかし、そのうちの多くは、実現可能性、再現性といったことを考えると現実的には選びづらい。
・起業:当たれば大きい。ただしハイリスク。
・投資:当たれば大きい。ただし大きく稼ぐには(特に資金が少ないと)ハイリスク。
・難関資格取得:合格できるかどうかがまず賭けだし、時間がかかる。
・宝くじ:当たればまあまあ大きい。当たらない。
・騙す、盗む:言うまでもなくハイリスク。
・相続:基本的には生まれ直すしかない。
・結婚:特に男性の場合、金持ち女性と結婚してもあまり旨みはない。
最近流行りの『副業』は、期待も高いが課題が多い
本業の収入を維持したまま追加の収入を得られる「副業」への期待は高い。とはいえ、実現可能性には疑問符がつくのが実際だろう。
副業で本業以外に稼げるのって副業で水商売をやる女性やくらいで、多くは時給で考えたら本業よりも低い金額で働くことになるだろう。自分で仕事を取ってこようと思うと営業活動をしないといけないので、多くの人は時給制のアルバイトをすることになるか、YouTubeやブログなど収益の期待値の低い活動をすることになる。
『副業で鬼のように稼いでいずれ本業に』できたらいいね。でも難しそうだね。
普通の人は、サラリーマンとして本業を頑張るのが結局一番効率がいい
そんなことを考え合わせると、結局は本業で成果を出して年収を上げていくのが最も確実に成果を期待できる方法だということになる。
まず考えるのは今働いている組織での出世だろう。だが「でも今の職場では、30代で年収600万円なんて辿り着かないよ!」という人もいるだろう。それなら、転職だ。ただの転職でなく、自分の市場価値を高める努力をした上での「年収を上げる転職」。サラリーマンとしてダウンサイドを抑えながら、毎月口座に入ってくる金を増やす。美味しい。
そんなわけで、なんだかんだ「目の前の仕事を頑張りつつ、力を蓄えてより稼げる仕事にシフトしていく」王道のキャリア戦略こそが、普通の人が自分の身を守るために目指すものだというのが僕の結論である。
次回のエントリーでは、僕の思う「再現性の高い転職戦略」について書いてみたいと思う。
誰もが余裕を失うこの国で、分断はもう埋まらないと思う話
菅新政権が誕生した。スローガンは『国民のために働く内閣』らしい。
「国民」という言葉の欺瞞
スローガンを見た僕が最初に思ったことは「国民って、誰?」であった。
おそらく意図としては、「政治家」とか「既得権益」とかに対する「国民」のために働くということなのであろう。あと「ウイルスとの戦い」という意味合いもあるようだ。
だが、その国民というのは既にまったく一枚岩ではない。
同じ「国民」であっても、(経済が成長していかないという前提を置くとだが)「あちらを手厚くすればこちらが割りを食う」という構図があり、必ず国民同士で対立する。そしてたぶん、最初に割りを食うのは現役世代である。だいたい新型コロナウイルスからして「老人は死にやすいけど若年層には低リスクなのに、自粛を強制されて生活が困窮している」という話があるくらいだ。
今回のエントリーでは、ここ最近僕がずっと考えていたことを文章に落としてみた。ロジックの綻びとか視点の不足とかはあると思うけど、一応思考の流れや感じてることの全体感はまとめられた気がする。ブログで備忘録ってのも恥ずかしい話だけど、公開しておくのでよかったら読んでみてほしい。
世代間の分断は加速する
高齢化と少子化が止まらない。止めることが不可能なのは明らかで、正しい質問は「それがどのくらい早く進むか」だ。僕は「僕らが想像できるよりずっと早く進む」が答えだと思っている。そして少子高齢化は、世代間の分断と対立を呼ぶ。
今回は、以下の3つの世代に分けて考えたい。
1. 引退世代
より長く生きる。長く生きるほど生活費と医療と介護に国の金を消費する。原資は現役世代が国に納める税金や社会保障費である。
2. 現役世代
引退世代を支えるため社会保障費が上がるので、賃金は横ばいだとしても可処分所得(要するに手取り)が減り続ける。将来への悲観・生活の困窮化に加え、出会いの減少や、LGBTQのような人工再生産に直接つながらない価値観の普及により、少子化は加速する。
3. 将来世代
将来の現役世代である。この世代は現時点ではまだ扶養されてるか場合によってはまだ生まれてないんだけど、とにかく、人数が減る。ガンガン減っていく。少なくなった頭数で、増え続ける引退世代をいずれ支えないといけない。普通に無理な話である。
内閣府や厚労省の資料を見ると、過去数十年に渡りとんでもない勢いで社会保障が増加していることがわかる。これを続ける限り現役世代が貧しくなっていく。
現役世代内は、子育ての有無によって分断される
次に、僕は現役世代の中でも分断が進むと思う。そしてその分かれ目は子供を持つか持たないかだ。
これは分断の切り口としてあまり語られない視点だと思う。この視点で話をすると世代内の格差に言及しないといけないし、「多様性」「生き方の選択の自由」といった現代において重要なトピックにも干渉することになるのが理由だと思う。
でも、僕はちゃんと表に出して考える必要があると思う。この国が抱える問題の根元が「高齢化」と「少子化」である以上、子供を持つか持たないかの問題に言及しないのは片手落ちだと思うからだ。
そしてここでキーになるのは、子供を「持つか持たないか」という意思決定をしたわけでもなく、普通に生きてきた結果、結婚しない人生を歩むことになる人々の存在だ。
子供を持つことを「想定できる層」と「できない層」
子供を持っている人間の多くは、一定の条件を満たした者たちだ。別に結婚しなくても子供は持てるが、出産の瞬間にシングルマザーである割合は非常に低いと思うので結婚を前提に考える。
子供を持つことを想定できる層
- 出会いが存在する環境、ないしは出会いのきっかけを作り出せる行動力
- 出会いから交際を経て結婚にたどり着けるだけの容姿やコミュニケーション力
- 「子供を持つ」という意思決定ができる程度の現在の経済力と将来の所得上昇見込み
現代日本では基本的に恋愛を経ないと結婚にたどり着けないので、たとえば以下のような条件の人はそもそも「結婚」が人生プランの想定に入らなかったりする。
子供を持つことを想定できない層
- 出会いの存在しない就業環境、出会いのきっかけ作りに対してシャイな性格
- 恋愛経験の少なさやコンプレックスから異性とのコミュニケーションが苦手
- 経済的基盤や将来の稼得見込みが弱く、子供を持ち、育てるイメージが持てない
こうして現役世代が2つに分断されると、いくら子供を持っている人や持ちたい人が「子育て支援を」とか「不妊治療に補助金を」とか叫んだところで「想定できない側」の人たちはそれを冷ややかな目で見るわけである。恵まれた立場の人間が勝手に苦労してるのに、何を助け求めてんねんと。
一方で子育てしている側は、子供を持たない人生を選んだ場合に比べて数千万円というお金と何万時間という自分の時間を子供に投入することになるわけである。「独身で気楽に生きてきた人間が、どうして社会保障の面では子供を育てた人間にフリーライドしようとしているのか」という気持ちになる。
要するに、どっち側もいっぱいいっぱいで余裕がないのである。
「多様性」や「生き方の選択の自由」は少子化を加速させる
上記のように「本当は結婚して子供を持ちたいが、するための条件が揃っていない人」も存在するが、それ以外に、自らの意思で子供を持たない生き方を選択する人もいる。たとえば同性のカップルであったり、キャリアやその他の価値のために結婚や子供の優先順位を下げた結果たまたま未婚の人生になった人たちも含む。
「結婚は何歳でしてもいい」「子供を持つのはキャリアや生活が落ち着いてから」といった「生き方の選択の自由」の尊重は、結婚する年齢・子供を持つ年齢を引き上げる。生物としては男女ともに若ければ若いほど妊娠しやすいので、高齢になるほど不妊に直面する確率は上がる。
同性愛者であっても無理やり異性と結婚させて子供を作らせていたような昭和の価値観が正しいとは僕は思わないしそんなやり方に戻せるとも思わないが、このトレンドが少子化の加速に貢献しているのは間違いないと思う。
「子供を持たない生き方」をする人は増え続ける
「結婚や子育てと縁のない生き方をする男女」はこれからますます増えると多くの識者が予想している。
2050年には男性の1/3が生涯未婚になるという予測もあり、また結婚したカップルのすべてが子供を設けるわけでもないので、「男性の4割が生涯子供を作らない」という状況がありえる。完全なる同世代の分断である。
これに関してはいろいろ記事を読んだが、以下の記事の中のチャートが個人的に気に入った。
こうして自ら選択したかどうかにかかわらず子供を持たない人生を送る人が増えてくると、「大人になったら結婚して子供を持つべきだ」といった規範が弱くなってくる。
そうすると、子供を育てている側はますます「子供を持たない人生を送っているやつらはワガママだ」と思うようになり、子供を育てていない側は「勝手に子供作って育ててるくせに何偉そうにしてんの」と思うようになる。
少子化は止まらないし分断も埋まらない、じゃあ、どうしたら?
基本的には、どうにもならん。なんか夢みたいなことが起これば別だけど、夢は夢である。
夢のような、夢でしかないシナリオたち
・老人が大量に死ぬか、社会保障が大幅に削られて現役世代の負担が減る
・突然現役世代男女が大量に子供を作り出す
・突然、大量の若い移民が押し寄せてきて、全部受け入れて、平均年齢が若返る
・突然みつかった地下資源とか、すごいイノベーションで輸出が爆増し経済が大きく伸びる
個人は何をしていくのか?
抜本的な解決は望めない。一方で、誰もが必死なので、『分断』を超えて支えあうというのも難しい。
全体最適を達成するのは無理なので、もう少し小さい単位、たとえば個人とか家族とか、可能であれば分断化された各グループごとで期待値が最大になるような意思決定を行っていくしかないのだと思う。
僕は何をするのか?
自分の能力のなさ、だらしなさを日々不甲斐なく思って生きてる身からすると、とりあえず3人の子供たちがどうにか育っていけるようサポートできたら及第点だろうな、とは思う。
一方で、そうやってどうにか生き抜いたことを誇れるほどにまだ達観できてもいないな、と思う。どうにか、自分の世代と将来世代が希望を持って生きられるような貢献ができないかとずっと考えている。
MBA取得後、起業に見切りをつけて会社員に戻ることにした話(主に就職活動の話)
トミオです。約5ヶ月ぶりのブログエントリーになりましたが、皆さんお元気でしたでしょうか。
今回は「2,000万円かけてMBA取りにいった後に起業を試みて失敗しても、意外と死なないよ」というお話です。起業を諦めることにした経緯と、そんでどんな風に就活したかと、どんな会社に就職することにしたかの話。特に、今からMBAを取りにいく人の参考になればと思って書いています。
なお、僕はこの半年間の収入が200万円くらい(そこから経費自腹)だったんですが、その間に第三子を授かりました。3ヶ月後の5月に誕生予定です。笑ってくれ。そしてよかったら祝福してくれ。
起業(の2歩目くらいで)の失敗と資金難
今これを書いてるのが2020年2月半ばなんですが、IE Business SchoolでMBAを取得して2019年7月にスペインから帰国してから、色々ありました。渾身のビジネスアイデアを持ち帰ってきたつもりが、いざ検証を進めてみたら問題だらけだということがわかったり。そのままのアイデアで資金調達はきつそうだということでピボット方法を考えながら、前職時代のお客さんから仕事をもらって食いつないだり。友人が立ち上げた日本酒ベンチャーの営業を手伝ったり。一応法人登記してるから株式会社の社長なんだけど、やってることは完全に個人事業主だなって気づいたり。
そうこうしてる間に、元々少なかった手元キャッシュが完全に尽きそうになり「これはあかんな」とやっとこさ悟り。事業を継続するための金がどうこう、という話ではなく、社員を1人も雇わなくても自分と家族が食っていけないっていう。
細々と自分の会社を続ける中で思ったのは、こんなことでした。
- 今の延長の仕事で子供3人食わせてくのは、ちょっと無理やな
- 調達して自分のプロダクトで勝負するのでなければ、会社やる意味ないのでは
- っていうか、外資エンタープライズソフトウェア営業の仕事、楽しかったな…
そんなわけで、いよいよ行き詰まりを感じた2019年12月。腹を括り、サラリーマンに戻るべく就職活動を始めました。
そういえば、僕のキャリアってどんなだったっけ
ここ最近はMBAやら起業やらのことばかり考えてたので忘れてましたが、僕って何してきたんだったっけと振り返ってみました。
シンガポールで1年半、日本で5年弱、USベースのソフトウェア企業のBtoB営業を経験し、その後1年半かけてスペインでMBAを取得して帰国した36歳男性。既婚。5歳と3歳の子供あり。
営業時代は5年連続で年間ノルマ達成、APAC(アジア太平洋地域)トップセールス受賞2回とまあまあ実績を残しているものの、ビジネススクール卒業時は起業する気満々だったので一切就活しておらず。
(さらに詳しい情報はこちらの記事内の「来歴」のところか LinkedInをご覧ください)
そんな状態からの、就職活動開始でした。
就職活動タイムライン
エージェントへの最初のコンタクトから1ヶ月半、最初の面接から1ヶ月弱での決着になりました。起こったことを順番に並べるとこんな感じ。
2019年
- 7/24 MBA & Master in Business Analytics and Big Dataを取得し日本帰国
- 12/24 以前LinkedInで連絡してきてたエージェントに片っ端から返信
- 12/27(年内最終営業日) 1社目のエージェントと面会
2020年
- 1/4-15 ジャカルタ出張のため日本不在→帰国後即、熱を出して寝込む
- 1/17 発熱中ながら1社目の面接(シンガポール在住のインド人とZoomで面接)
- 1/20〜 ひたすらエージェント&企業と面会を重ねる
- 1/30 1社目オファーレター受領
- 2/15 5社目オファーレター受領&サイン(就活終了)
就職活動開始時に考えたことと戦術
思い返すと、最後に「就職活動」をしたのはシンガポールに住んでいた27歳の頃でした。なんと9年前。そのため、就活に関する情報がまったくない。自分の現在の市場価値もわからなければ、市場にどういうオポチュニティーがあるのかもわからない。
なので、こんなアプローチでやってみることにしました。
- とりあえずエージェントと会いまくって相場観を得る
- 会えるだけの企業に会って感触を掴みつつ、早めに最初の内定をもらう
- 既存の内定を交渉カードにして、より良い条件を他社から引き出す
結果的には、これがビタっとハマりました。
実際、どんな仕事/案件が待っていたか
「とりあえずやってみよう」で始めた就活、すぐに分かったのは以下のようなことでした。
評価されやすいのは過去の職歴の延長の仕事
当然の話ですが、市場で自分に高値がつくのは過去にやっていた仕事と同じ業界・職種の案件でした。具体的にはエンタープライズソフトウェア(特にSaaS分野)の営業職です。前職で日本法人の立ち上げを経験していたことから、日本での立ち上げフェーズにあるUSテック企業からの引き合いが特に多かったです。
前職でやっていた仕事よりも上のポジションで打診してもらうことが多く、市況が良くなっているのを感じました。
英語がアドバンテージになる仕事は意外と多い
MBA Gradsの給料を払える会社って基本的に外資になるので、外資専門の人材エージェント/エグゼクティブサーチを利用して就活することになります。するとそもそもエージェントの担当者が外国人なことが多くなります。
また外資である程度高いポジションだったり、日本の立ち上げフェーズだとプロセスに英語面接が入ることが多くなります。いくつかの会社では、面接がUS本社のCRO(Chief Revenue Officer)まで上がったり、課題を出されて1時間くらい英語でプレゼン&質疑応答をやらされたりしました。こういう状況になると、MBA受験とMBA生活で鍛えられた英語コミュニケーションがバツグンに生きてきます。
MBA自体が評価されるかどうかはケースバイケース
面談時に「元の業界に戻る場合、MBAを取りにいっていた2年間は営業としてのブランクとしてしか見られませんよ」と言い放つエージェントもいました。
が、実際面接を受けにいくと、MBAを持っていることが僕の出自に信用を与えてくれていると感じる機会が複数ありました。特に、面接担当者が外国人の場合。相手がLondon Business SchoolのMBAを持っていて「あーIE!俺も受けようか迷ったんだよね」って話が盛り上がったり。(彼は僕を強く社内で推してくれました。最終的に就職を決めた会社のシドニーオフィスの社員です)
起業失敗ネタは、案外高評価
「日本帰ってきてからの半年間は何やってたの?」って聞かれたら正直に「起業しようと思ったんですが失敗しまして。子供もいるので、ちゃんと働かないとなと思って就職活動始めました」って伝えてたんですが、むしろポジティブに受け止めてもらえることが多かったように思います。「そりゃお金稼がないとね」って笑ってもらえたり「Entrepreneurshipがあるね」という言い方をしてもらえたり。ちゃんと面接プロセスも次に進めてもらえたし。
就活の結果はどうなったか
14社と話をして内定5件
幸い最初に面接した企業とその次からすぐに内定をもらえたため、その後は興味がなければ早めにプロセスを止めてもらうようにしていたものの、最終的に5件の内定を頂けました。一番面白そうだった企業とお仕事のオファーが一番いい条件、という形で終えることができ、上々と言っていいかなと思っています。
特に「SaaSが売れるエンタープライズ営業 x 外国人がストレスを感じないレベルで英語ができる」という組み合わせが本当に少ないみたいで、外国人との英語面接になると通過率100%でした。
どういうわけだか、前職から年収パッケージが大幅アップ
前職のOTE(Over Target Earnings: 年間ノルマ100%達成時のモデル年収)の1.5倍くらいで最初のオファーが出て、最終的に出たベストのオファーはOTEベースで前職の2倍弱、ベースサラリーだけで見ると2倍超という形になりました。(ベース:コミッションの比率が変わったため)
元々、起業するつもりだったから元の業界に戻るつもりはなかったのに、MBA終えて帰ってきてみたら大幅キャリアアップという不思議な結果になりました。焼け太り感がある。
話した中で一番アーリーステージの企業で働くことに
日本法人を登記した直後の、カリフォルニアに本社があるエンタープライズソフトウェアの会社に就職します。3/2(月)が初日の予定。面接プロセスで日本人と一人も話してないからよくわからないんだけど、日本法人は現状、社員1人か2人の様子。日本支社長不在で、上司は香港在住のオーストラリア人。
クビにならない限りは、3年くらいは楽しく働けるかなーと思っています。
就活を終えて、どんな気持ちか
本来は起業家として頑張ってたはずの時期なのにこういう結果になり不本意という気持ちと、高く評価してもらい家族を養える年収と面白そうな仕事が目の前にあってハッピーという気持ちが同居しています。あと、起業に当たって応援してくれた多くの方々に対して、就職という無難な結果に落ち着いてしまって申し訳ないなという気持ちもあります。
まあ、言うて5月には3人の子供の父親になるわけなので、「思いっきりコケても、案外死なずになんとかなるもんだな」 と思えてるのは大変ありがたいことだなと思います。
まずは次の仕事で成果出して体勢を立て直して、また次のチャレンジに向かっていけたらと思います。
もっと具体的な話が聞きたい場合はご連絡ください
ここでは、あんまり細かい話をすると冗長になるので大まかな話だけしてますが、特に隠してるわけではないのでご希望があれば個別に共有します。これから挑戦しようとしている人の背中を押せたらすごく嬉しい。
僕のCVだとか、おすすめのエージェント(および担当者)とかどんな企業を受けたのかとか採用プロセスはどうだったかとか、プロセスの中で出された課題と僕がやったプレゼンの資料とか、必要に応じそういうのも共有できます。
僕のツイッターアカウント宛に連絡いただくか、keidgi@gmail.comにメールで、気軽にご連絡ください。
引き続き、よろしくお願いいたします。
P.S. トミオ就職記念&初任給祝いイベントやりたいので、相談させてください。
MBA取得後、おっさんが即起業しないといけない事情
ごぶさたしております、トミオです。
おかげさまで7月に2つの学位(MBAとBusiness Analytics & Big Dataの修士号)を取得し、日本に戻ってきました。出発前・在学中、応援いただいた皆さま、改めてありがとうございました。
その後のことを、こちらでざっと書いていきたいと思います。
このブログは、「読みやすさ」や「キャッチーさ」を犠牲にして頭の整理のために考えていることを垂れ流す目的で書いてるので、例によって雑多な感じになりますがご容赦ください。
MBA取得後即起業、は実はほとんど存在しない
僕が卒業したIE Business Schoolへのアプライに関心を持つ人と話すと「卒業後の起業が多い学校」としてIEを考える人が多いようです。たしかに他校と比べた場合に起業方面にキャリアを進める人は多いように思いますが「卒業後即起業」に関して言うと、ほぼゼロと言って差し支えないのではないでしょうか。なぜか?一番は、学費で預貯金を使い果たしてしまって、起業するための原資がないためです。あと、就職しようと思ったときの条件がとても良いのも理由ではないかと思います。
「トップスクール」と目される学校に来る人々は優秀なので、MBBと呼ばれるトップティアのコンサルとか、GAFAをはじめとする金払いのいいテック企業とか、あとは国際機関とか消費財のマーケとか、順調に就職を決めていきます。幸いにもIEに関しては「卒業したもののまともな就職先がみつからない」という日本人は見かけたことがせん。
「とりあえずいったん就職するか」となるのは当然だし、僕も自分が20代独身だったらそうしただろうと思います。
だが、子持ちおっさんは時限爆弾を抱えている
一方で、「30代(特に後半)、子持ち」となると状況が変わってきます。
当然ながら家族を養うために独身者より出費が多いのが既婚子持ちなのですが、実は、子供が小さいうちの出費はたかが知れています。せいぜい、食費と服飾費とちょっとした習いごとくらい。
本当にやばくなるのは「子供の教育に金がかかり始めるタイミング」。
中高一貫の進学校に進学させてあげたいと思うと、小学校4年生くらいから年間100万程度塾通いのお金がかかり始めると聞きます。そして、進学したらしたでかかる金が減ることはない…
もし勝負をするとしたら、子供が10歳になるくらいまでというのがリアルなタイムラインになってきます。たとえば僕で言うと、息子が既に5歳なので、10歳まであと5年…そのうち3年を、いったん就職して貯金を作って…という作業に費やす余裕はない。起業するなら、今しかない。
当然ながら、金はない
「起業するなら今しかない」とわかっても、手元に金はないわけです。なんせ学費で全部使っちゃってるから。最初から起業が目的なのであれば、MBAなんか取りにいかずにさっさと起業したほうがいいです。いやほんとに。
事業を立ち上げ継続するためのファイナンスと、家族を養うための私生活のファイナンス、両方考えて動かないといけない。でっかい負担です。まあしょうがない、やるしかない。
そんなわけで、ひいひい言いながら頭を悩ませ、日々凹み、打ちひしがれてはどうにか起き上がり、という感じでやってます。次のエントリーでは、いい方向性の報告ができるといいなー。
2ヶ月半で15kg落としたダイエット振り返り
本ブログの「キャリア」の話と直接関係ないんですが、昨日3/31、去年の10/1から半年間続けたダイエットプロジェクトを終えました。90.1kg→72.0kgの18kg減。途中盛大なリバウンドがあったので、最後の2ヶ月間で15kg落とすことになりました。
無事3/31に72kgの目標ヒットしまして、達成祝いのカツカレーを作って食べました。最後2ヶ月半で15kgはちょっとやりすぎた感もあったけど、まあ目に見えて違うことは違いますな。パツパツだったスーツ、緩くなりすぎて前閉めると違和感出るようになりました。別途記事まとめます。 #トミオダイエット pic.twitter.com/aajnmusTzz
— トミオ (@tomyuo) April 1, 2019
短期間でガーって痩せるノウハウ、という意味でも、あとはそれに向かう時の精神面でも、ちょっと面白い話ができるかなと思ったのでまとめることにしました。
35歳おっさんが何を考えて何をしたか、なるべくわかるように書きたいと思います。
あらまし
きっかけ
2018年1月にスペインの首都マドリードに引っ越してきたんですが、オリーブオイルで揚げたポテトチップスとか、パンをオリーブオイルひたひたにして食うやつとかが美味しくて食べまくってたら、日本にいたとき80kg弱くらいだった体重が90kgオーバーまで行っちゃったんですよね。日本に一時帰国したとき久々に会った友人から「顔の輪郭がなくなってるよ」と言われ「さすがにヤバイ」と思いまして。
折しも「顔の輪郭がなくなってるよ」と言われた飲み会で一緒になったEmiさんという人から「オンラインのパーソナルトレーナーで食べていけるようになりたいので、モニターになってくれるいい感じのデブを探しています」と声をかけられました。「やりましょう。どうせならニュース性出せるよう、半年で90kgから70kgにするチャレンジやりましょう」って即決しました。半年間のダイエットの記録が、体型から食べたものまで含めて丸ごと残ってるのは彼女のおかげです。2019年頭に目標を70kgから72kgに若干修正し、今に至ります。
ゴール設定の根拠
というわけで勢いで決めた体重の目標値ですが、一応他にも根拠があります。
僕が理想だと思っている体型が映画『ファイトクラブ』に出演したときのブラピなんですが、これが大体73kgくらいらしいんですよね。彼の身長が180cmで僕とほぼ同じなので、筋肉量の分ちょっと調整して70〜72kgくらいがいいかな?という算定です。
3つのフェーズ:慣らし、リバウンド、追い込み
結局最後の2ヶ月半で15kg痩せたので「後半だけでよかったのでは?」と考えることもできるのですが、実際には前半の3ヶ月に大きな意味がありました。僕の場合、具体的には「最初の3ヶ月:慣らし」「後半戦の半月:リバウンド」「最後の2ヶ月半:追い込み」という配分になりました。
食事の仕方とか筋トレのペース、各種ツールの使い方、各種要素をどう組み合わせるとどんな感じで体重が減るか、どういうイベントがあると体重が増えるか…こういったことをケースとして溜めていくことで、最後にスパートかけやすい環境が出来上がりました。あと、前半戦の90kg→80kgを達成した瞬間に79.8kg→87.1kgというシビれるリバウンドをしたため、前後半の3ヶ月ごとに10kg、10kgという当初の甘い計画は吹き飛びました。
人生、色々起こります。ある程度長期スパンで取り組むことには意味があると思います。
僕のダイエットメソッド
※「僕が採用したメソッド」という意味です。ほとんどはEmiさんから教わったことを運用に落としただけです。
食事管理(カロリー&PFCバランス)
今回のダイエットの原則は非常にシンプルでした。「なるべく筋肉を残しつつ、体重を落とす」。そのための食事方法を指導してもらいました。
- 1日の摂取カロリーはなるべく1,500kcal以内に抑える(落としたい体重から逆算)
- 毎日、体重1kgあたり2g(僕で言うと160gくらい)のタンパク質摂取を目指す
- 炭水化物は、なるべく40g以内。カーボ抜き期間を終えたら90gを許可。
Emiさんからは「野菜を美味しく食べられるレシピ」をいくつか教えてもらって、ありがたく試させてもらいました。途中からは面倒くさくなって「とにかく簡単に作れて必要な栄養素が摂れる自己流レシピ」ばかりになりました。
筋トレ(有酸素運動一切なし)
家の近くのジムに、基本的に週3(火・木・日)で通っていました。上半身と下半身を交互に、が基本だったけど、下半身はだるいのでつい上半身中心になりました。セット内容などは後ほどの「ツール」のところで共有します。
体重を減らすのはあくまで食事制限で、筋トレは「筋肉量維持」が目的。そのため有酸素運動は基本的にやってません。
LINEグループに報告&サービスのアカウントを共有
「トミオさんのダイエット」というLINEグループを作ってもらったので、その中のアルバムに体重・体型・筋トレ内容等をアップデートしてはアドバイスをもらう仕組みにしました。食事は後ほど紹介するCronometerで記録。アカウント情報を共有し、Emiさんが中身を確認できるようにしました。食べ過ぎるとトレーナーからツッコミが入ったりするので、ペーシングに大変役立ちました。
使ったツール
目的は自動化と数値化&可視化です。体重の入力とか運動量とかは体重計やApple Watch、アプリがやってくれるので便利だし、食事や筋トレは入力さえしておけば各種指標が参照できるようになるので、振り返りや計画がしやすくなります。
スマホアプリと連動する体重計
既に使ってる方が多いと思いますが、まだの場合は、必須。体重を計るのってそもそも面倒なので、それをいちいち自分で記録するなんてだるすぎます。少なくとも僕には無理。僕のはスペインのAmazonで5,000円くらいで買ったよくわからないメーカーのやつですが、十分役目を果たしてます。
Cronometer: カロリー摂取量&PFCバランス管理
Cronometerというサービスを使いました。これ、iPhoneアプリとWebの両方のインターフェースがあって、食べたものを入れると栄養素別に経過・結果を表示してくれるんでめちゃ便利です。iPhoneのHealthアプリから体重とか消費カロリーとかも取ってきてくれるし。
Apple Watch & Health App: 消費カロリー管理
消費カロリーの把握は、基本的にApple Watchから自動計測。一応Apple謹製の「Health(日本語だとヘルスケア)というアプリがありますが、僕は面倒なのでいつもCronometerで消費エネルギー見てました。
Strong App: 筋トレ管理
Strongってアプリを使って記録しました。筋トレって「前日に何を何回やったか」を記録しておいて次回もそれをベースに組み立てる、というのを繰り返すので、こういうアプリがあると捗ります。僕は上半身・下半身それぞれにルーティン(筋トレ種目の種類・回数のセット)を設定しておいて、それをベースに記録するようにしてました。
消費エネルギーの情報をHealth Appに飛ばしてくれるのも、このアプリのいいところ。
ダイエットを通じて気づいたこと
君は知っていたか、人は食わないと痩せる
前々からうっすらわかっていましたが、今回のダイエットを始めてよかったのは「食事制限をすると痩せるし、食べ過ぎれば太る」というのを体験できたこと&それを数値で把握できるようになったことです。
前半戦で何度か「体重減少→2〜3kgのリバウンド」を繰り返したおかげで、どのくらいの食事制限をするとどのくらい痩せるのか、どういう食べ方をするとどのくらい太るのかの予測ができるようになりました。それが、追い込みの時期に「1日の摂取カロリーを1,000kcal以下にすればこのくらいのペースで痩せるはず→もう時間がない。断食に切り替えるぞ」みたいな意思決定をするのに役立ちました。
「おっさんとダイエット」の敵はモチベーション
これも前々からわかってたけど、おっさんは痩せることのメリットが見えづらいです。むしろ、ほぼ存在しないと言っていい。20代までは「痩せるとモテる」みたいなモチベーションがあったけど、既婚おっさんがモテても意味ないし、たぶんだけどおっさんが痩せても大してモテない。慢性疾患に罹患したりボーダーになったりすると変わるんだろうけど、そこまで到らないと、なかなか重い腰は上がらない。
こうした中、今回は「ダイエットチャレンジ」というものを設定することで、ゲーム的に自分を追い込んで目標達成することができました。よくやった、俺。
おっさんはあんまり褒められることがないので、これを読んだ方、よかったらぜひ、褒めてください。
今後の維持が課題
上記の通り、単に「痩せる」だけでもモチベーションを保つのが大変なのに、これが「体型の維持」となると壊滅的である。今でも、ここはどうしようか困っている。
ダイエットが終わった瞬間にカツカレーを作り、特盛にして食べてしまった。来週は日本に戻るのでラーメンとか食べまくりたい。
一応、目標はブラピなので頑張りたい気持ちはある。でも、いかんせんモチベーションが保てない。誰か、いい方法があったら教えてください。
Emiさんについて
無事、宣言通り半年間ダイエットをして結果を出したので「痩せましたよエミさん!ありがとうございました!これ使ってプロモーションして客を作りましょう!」って打診したところ「トミオさんのダイエットを手伝ったことで、自分の実力不足とこれをビジネスにする難しさを知りました。私が目指す高付加価値なトレーナービジネスにはまだ修行が必要です」という返事が戻ってきました。マジヘタレ。わざわざトミオの目標設定からダイエット指針の設定、ツールの使い方、栄養指導、調子のいいとき悪いときのコーチング、等散々世話をして結果に繋げたにもかかわらずこのザマ、ヘタレにも程がある。
とても頼りになるトレーナーだと思うので、ぜひ、皆以下のアカウントにコンタクトして「自分のダイエットも手伝ってほしい」って相談してみてください。僕のダイエットの記録を丸ごと持ってるので色々共有してくれると思いますし、ライザップよりお安く、より親身なダイエットの伴走者になってくれると思います。
卒業と同時に起業するための事業アイデアと、そこに至った思考プロセス整理
ビジネススクール卒業まであと半年を切りました。
入学前から考えていた通り、僕の卒業後進路の理想は「起業」なので、それに向け本格的に動いていきます。まずは、昨日ツイッターで以下の投稿をしました。
今主流の「レストラン」と「レビュアー」中心のグルメサイトへのアンチテーゼとして、シェフとファンが直接繋がれるような飲食サービスを作りたく準備を進めてます(添付はプロトタイプのハリボテ)。一緒にサービス開発、ビジネス開発してやろっか、という方、興味ある方、ぜひご連絡ください。 pic.twitter.com/yq76GORbbB
— トミオ(83.1kg) (@tomyuo) January 26, 2019
自分の頭の整理も兼ねて、なぜこのアイデアでやっていきたいと思ったのかをまとめておきたいと思います。
僕がやりたいと思っていたことと、MBA生活を通じ体験したこと
1. 人が作ったものを売るのではなく、作り出す側に回りたい(できればBtoCで)
僕はスペインに来るまで、直近の7年ほどを外資系ソフトウェア会社の営業として過ごしました。特に最後の5年弱を過ごしたTableau Softwareでは日本法人3人目の社員、1人目の営業としてジョインし、組織が100人近くなるまでを間近で見ました。
日本での認知度がほぼゼロだった製品が次第に受け入れられ、業界の標準になっていく過程を体験できたことは素晴らしい財産になりましたし、おかげさまで1,000万円を超えるビジネススクールの学費を捻出できる程度の蓄えもできました。日進月歩で進化していくテクノロジーの世界は、僕の好奇心を満足させてくれるものでもありました。
一方で、外資系IT企業の日本法人というのは言うなれば「日本営業所」です。
主に所属しているのは営業のプロたちで、「今後伸びる製品やプロダクト」を持つ会社への転職を繰り返しながら、給料やポジションを上げていくという人々でした。言うなれば、凄腕の傭兵集団です。ものを売るプロではあるのですが「製品そのものを作り出す側」ではないというのがいつも引っかかっているポイントでした。
また、売っているのは法人向けのIT製品なので、普段話をするのは自社の社員と、大企業の社員の人たちと、あとSIerをはじめとするパートナー。これは売る製品や会社が変わっても変わりません。「果たして自分は、この業界であと何十年も過ごしたいのか?」と自問した結果、答えはノーでした。できればBtoBの世界を出て、消費者と直接接するビジネスがしたい。でもどうやったらいいんだろう?そんなことを考えてビジネススクールに入学しました。
2. Exponentialにスケールするビジネスがしたい
BtoCモデルのビジネスでまず思い浮かぶのは、飲食です。
日本を出る前に寿司学校に通ってお寿司の握り方を学んできたので、ビジネススクール在学中は友達の家で寿司を握ったり、ケニアで、南アフリカで、ナイジェリアで寿司を握ったり、「マドリードに牛丼屋を出す」というアイデアでビジネスプランコンテストのファイナリストになったり、色々試しました。
そこで学んだ一つ目は「食にはすごい力がある」ということ。僕のお寿司なんて本職には遠く及ばないものだけど、お寿司を握りに行った先々で人々が非常に喜んでくれました。寿司パーティーを開くたびに、僕は新たな人々と知り合い、打ち解け、そしてまた新たな機会が生まれました。
一方で、たとえば僕が寿司屋を開くとして、開店には多額の費用がかかり、集客は保証がなく、もし店がうまくいったとしても影響を与えられる範囲は限られている。ビジネスを大きく成長させるには多店舗展開するしかないが、店舗の数に応じて固定費が増えていく…スタートアップに要求される「Exponential Growth」とはかなり異なるビジネスであることがわかりました。
やっぱり、Exponential Growthを目指すならTech Startupだよなあ…そんなことを考えるようになりました。
3. コミュニティを作りたい
在学中に読んだ本で、すごくいいなと思ったものがありました。『Airbnb Story』という、Airbnbの創業から2016年くらいまでを取材してまとめた本です。
何がいいと思ったかというと、Airbnbにはそのサービスが大好きなユーザーがいて、かつ世界の各地域・各都市に熱狂的なホストがいて、彼らがコミュニティを作っていること。このサービスによって人生が変わったという体験を共有していること。これは同じくExponentialに伸びるビジネスでも「たとえば決済サービスのPaypalでは起きないことだろうなー」と思う部分。人の「体験」に関わるビジネスをするのがキーだなと考えるようになりました。
さて、どうやって形にしようか
食を通じた体験の共有
「Exponentialに成長するポテンシャルを持った、圧倒的な体験によって熱烈なファンコミュニティができるテクノロジービジネス」。言うだけなら簡単ですが、「そんなんどうやって実現すんねん」となるとあまりにもハードな課題設定です。
色々振り返っている間に考えたのが、自分がMBA生活を通じて感じた「食の力」についてでした。食の体験を通じて、人は体験を共有し、コミュニティを強めていくことができる。これを、テクノロジーを使って支援していくことができないか。
コミュニティ形成の場としての飲食
一部の飲食店は、明確にコミュニティ要素を持っています。たとえばスナックやバー。そこには、人が人に会うために集まってくる。一方で、それ以外の飲食店ではコミュニティ形成の場としての側面があまり意識されていません。既存のサービスも、例えば食べログのように「お店」の情報が中心で、そこにご飯を食べにいったユーザーが食べたものの「レビュー」をする。
なぜそうなってしまうのか。僕が考えたのは、関係性が「店 対 人」になっており「人 対 人」になっていないからではないかと言う仮説でした。そして、料理人とお客さんの関係やお客さん同士の関係にフォーカスしたメジャーなウェブサービスはありませんでした。
店ではなく「人」に客がつくということについて
「人にフォーカスした飲食系ウェブサービス」という着想があったものの、それを実現したら本当に誰かの役に立つのか確信はなく、確認の必要がありました。
偶然、すごく良い題材が身近にありました。数年来の友人である山口シェフ(ぐっさん )が、シェフのコワーキングスペースとして鳴り物入りでオープンする『リダイン銀座 』というレストランに入居し開業することになったのです。ぐっさんは元々、渋谷の『炭火焼びすとろ SUMIKA』というレストランの料理長だったのですが、ツイッターでの発信により「ぐっさんの料理を食べにSUMIKAに行ってみたい」という人が増え、実際に来店した人は美味しい料理とぐっさんの人柄によりファンになる、という好サイクルが回っていました。
【選ばれしシェフ紹介】山口 弘(やまぐち ひろし)シェフは、肩肘張らずにお好きな物をお腹いっぱい食べて頂きたい!というコンセプトで、お料理も大きめのポーションで提供いたします。https://t.co/bizZncJ8C7#redineginza #山口弘 pic.twitter.com/JjmbHYcxSb
— re:Dine GINZA (@reDineGINZA) January 18, 2019
リダイン は「シェフのコワーキングスペース」なので複数人のシェフが入居しているのですが、ぐっさんのお店は開店からいきなりの来客ラッシュにより満員御礼。食べにいった人がツイッター上で結果報告をすることによりさらに来客が増える、という状況になりました。
友人ぐっさんこと山口弘シェフ(@526g3)が今日新規オープンした「ビストロg3」に家族でやってきた。銀座Re:Dineという複数の料理人のコワーキングスペースに土日のみ出店という業態。とりあえずシャルキュトリー等の前菜盛り合わせが来た。うめえ。 #ビストロg3 pic.twitter.com/40pAslhEMN
— ystk (@lawkus) January 19, 2019
これを目の当たりにしたことで、僕は「シェフと中心としたファンコミュニティができることで、飲食店の開業リスクが圧倒的に小さくなる」ということを学びました。そして、現状では(ぐっさんのようなレアな例を除き)これから独立したいシェフが目に見える形でファンのコミュニティを作る手段がない。
ここから、具体的にどうしていくのか
卒業まで半年しかない中で、やらないといけないことはかなり重たいです。
現在、製品の方向性と初歩的な画面イメージはできたものの、これを「人が使ってみることのできるベータ版」に持っていかなくてはいけません。資金調達をするのであれば、さらにこのアイデアがPMF(プロダクト・マーケット・フィット)を達成していることを数字で証明しなくてはいけない。ぐっさんにはもっと成功して本格的な独立をはたしてもらわないといけないし、同様の成功例が他にも欲しい。今、事業のアドバイザーは何人かついてくれているものの、一緒に手と頭に汗をかいてくれる「こーファウンダー」も必要です。
残された時間を意識しながら、できると信じて頑張っていきたいと思います。
1年前のFacebookポストを見ながら、この1年を振り返る
マドリードへ来て、ちょうど1年が経過した。
奇しくも、1年前に僕がFacebookにポストした日記がFacebook経由で出てきた。Google Photosが「あなたの1年前、こんなんでしたよ」って出してきた。
僕自身は、驚くほど変わっていない
そう、びっくりするほど何も変わっていない。
1年前の日記で「僕の子供たちが年頃になって『これがやりたい』と相談にきたときに『やってみなよ。世界はチャンスに溢れてるよ』と言ってあげられる父親でありたい」と書いてるけど、今も、その気持ちである。無様でも、周りの人々に迷惑かけても、チャレンジしている後ろ姿を子供たちや自分より若い世代に見せていきたい。
子供たちは成長している
日本を出たときに3歳だった息子は4歳に、1歳だった娘は2歳になった。
息子は、割と明らかな多動傾向があり遺伝の強さに焦るも、素直で良い子に育っている。僕の息子らしく、人と同じことをするのは苦手なのに臆病なので、父として彼のチャレンジを応援していきたい。娘は、わがままだがよく笑う可愛い女子に育っている。彼女がたくさん笑っていられるよう、父ちゃん頑張っていかないといけないなあと思う。
ちなみに「数ヶ月後に会っても、パパの膝の上は娘のお気に入りの場所でいられるだろうか」という疑問については、大丈夫であった。忘れられてなかった。妻に感謝。
実績として残ったもの
アフリカ
IE入学前に宣言していた通り、この1年のうち2ヶ月くらいをアフリカで過ごした。
「今後30年後の世界を見据えて、アフリカに繋がるビジネスをしたい」という気持ちは今も変わらず持っているが、じゃあすぐに「アフリカでこれをやろう」という状態には至っていない。
Venture Lab
IE最大のスタートアップイベント、「IE Venture Day Madrid」のファイナリストとして、僕がStart-up Labから参加している「Donburi」というチームが登壇することになった。日本人チームとしては初の快挙らしい。アイデアは名前の通り「スペインでどんぶり屋を開こう」というプロジェクトである。よくこんなんでトップ12チームに残ったもんだと思うが、徹底したバリデーションの成果と、CEOの中村さんのパッションの賜物である。やり抜くと人の心が動く、という部分がとてもよい学びになった。ちなみに僕はCTOという立場で入ってるので、壇上には登るもののピッチはせず、プレゼン内で流すビデオを撮影して編集したりするのがメインの業務である。
より確実になったこと
将来に対する志向は、より明確になった。
いわゆるFAGAとか呼ばれるようなテック企業への就職は絶対にしない。(給料がめちゃいいので、金のない身としては視界から外すのはきつい)外資テックの日本法人にはそもそも戻らない。
アフリカ関連の事業にジョインするのは楽しそうなので前向きに考えたい。
一番希望に適うのは自分でビジネス立ち上げてやってくことだが、キャッシュが今ゼロに近いので資金調達が必須なのと、既に資金面で苦労させてる家族にあと(少なくとも)数年は貧乏暮らしをしてもらわないといけないので悩ましいところである。
そもそも何がやりたいのか
前の仕事をしていてやだなと思ったのが「人が作ったものを売っている」立場であることだった。自分が作ったもので、世の中にインパクトを出したかった。そしてその思いは今も変わっていない。
まだ具体的な形になっているものはないけど、幸い、卒業まであと半年強ある。足掻くぞー。
ビジネススクールに進学してMBAを取得する、ということの価値について思うこと
僕はIE Business Schoolというスペインの学校に在籍していて、入学してかれこれ10ヶ月強になる。MBAと「Master in Business Analytics and Big Data」という修士号のDual Degree Programのため、既にMBA部分は終了し、通称「MBD(BDはBig Dataの略)」と呼ばれる2つ目の修士プログラムに在籍している。MBAは既に卒業試験まで終わっているので、MBDが終了するまでの「仮免」状態だ。
自分が1,000万円の学費を投じてやってきた「MBAという学び場」について感じたことを、今日はいくつか書いてみたいと思う。まあ大体は他所で言われてる内容と同じになると思うんだけど、もし気が向いたら読んでみてほしい。
正直、勉強の効率は悪い
「講義」全然集中できん
「クラスルームでの講義」という教育方法は、非常に効率が悪い。僕のように注意力が散漫で英語力も中途半端な学生の場合、先生の言ってることがそもそも全く入ってこない。今時、オンラインで有名大学の講義がいくらでも視聴でき、速度変更も巻き戻しも何度も聞いたりすることもできるのに、この前時代的な教育方法が今も残っている理由が、どうも理解できずにいる。強制的に出席させる、座らせるということが大きいのかなあ。
ディスカッション?勝手にやっといて
「多種多様なバックグラウンドを持った学生同士の議論が熱い」みたいなことをMBAの価値のように言う人がいるけど、それについても特に価値を感じない。出身国や宗教等のバックグラウンドによって発言に差異が出るようなことは極わずかで、基本的に皆、豊かな家庭に生まれた秀才たちである。違いなんてどうってことはない。僕自身は手を上げるの面倒なのでほとんど発言しなかった。
そもそも、知識の吸収速度は日本語より格段に落ちる
特に日本人の場合、ハードスキルを身に付けたいならビジネス・ブレークスルーとかグロービスの方がこってり教えてくれると思うし、語学のハードルがない分吸収も早いはず。
Diversityに関しては、友達作りの環境としてはめちゃいい
Diversity、勉強に関してそんな意味あるか?
これも、上記と共通する部分がある。Diversity(多様性)を売りにする学校の関係者が口々に発する「様々な国籍・業界の同級生と切磋琢磨することで学びがある」みたいなやつは、そこそこ真理である。実際グループワークするとそれぞれの「当たり前の基準」が違うからミーティングの開始時間がめちゃズレて衝突が起こったりするし、成績へのスタンスによってメンバーの力の入れ具合が大きく異なったりする。だが、それが「MBA最大の(ないしは大きな)学びだ」と言えるかというと割と疑問が残る。「1,000万も投じてやることか?」と。
ここでできる友達と卒業生ネットワークには確かな価値がある
特にフルタイムのMBAプログラムに通う場合、「人生の大事なタイミングの1〜2年を、スペインの片田舎(失礼)で過ごす」という選択をした人間同士である。僕の周りの日本人を見てると「他の学校にも余裕で合格する優秀さがありながら、この学校にフィットを感じて来た」という人が多く、そうた人々の結びつきは強い。前回のアフリカ滞在の記事でも書いたけど「連絡したら気軽に会ってくれて、支援の手を差し伸べてくれる」人々のネットワークが世界中にできるのはとても大きい。
僕がクラスで特に仲がいいのは、前回「就職したくないでござる。」のエントリーでも紹介した中退していったインド人の友人(彼とは今でも時折メッセージや電話している)や、中米の最貧国ニカラグアの超資産家の息子。普通に生活してて知り合わなそうな人と、「MBAの同級生だから」というだけで一発で繋がる関係を築けるのはとても面白い。
将来の進路選択に与える影響について
起業に関しては、MBAを選んでる時点で…
そもそもMBA取りにきてる時点で孫正義とかイーロン・マスクみたいな突き抜けるタイプの起業家じゃなくて秀才タイプなわけなので、そういう人が起業に憧れて進学しても「うるせえ勝手にやれや」という話になりがちだとは思う。
ただ起業へのハードルを下げる効果はある
僕と同じチームでStart-up Labに出場してた中村さんの体験記がIEのページにあるけど、こんな感じで、学生という自由な時間を使って安全な環境でプロセスを試せる環境はある。僕にとっては座学の本科よりも断然楽しい時間で「やっぱお利口さんがやることを自分がやるのは無理だなあ。こっちのほうがおもしろいなあ」と体感させてくれたという意味でもありがたかった。
肩書きには価値がある。特にグローバル企業就職を目指す人にとっては…
卒業後は「MBAホルダー」という肩書きを手に入れるわけだし、また「MBAスクールでの1年間とはどういうものか」というのを経験した人間になっているわけなので、この肩書きを上記の人脈と組み合わせて使うかが鍵になる。
僕みたいに大きな会社に就職する気が一切ない人間には意味がないけど、たとえば欧州やアメリカに本社がある会社の本社採用狙うような人には、MBAの価値はすごく大きい、はず。以下ツイートはそれを実践した人の意見。
多分のトミオはあんまりMBAに向いてないのにMBAに行ったんじゃないかと思っていて、それなりの大きさの会社で国を超えて働くためのパスポートとしての機能が結構大きんじゃないかと思っている。 https://t.co/E45rnMSbCw
— Keni (@Keni_Orange) November 17, 2018
まとめ
ということで「過大な期待をしても叶うかどうかわからないけど、いいところはあるよ」というのが僕からの意見でした。巷で言われてる「MBAの価値」が本当かどうかには若干懐疑的だけど、来たこと自体に関してはまったく後悔してない。
さて、次のステップについて
幸い、前職が傭兵的な「外資ソフトウェア会社の営業」という仕事で成績もよかったので、次に就く仕事がないということはありえない。ただ「自分の情熱を注げる仕事かどうか」という部分については、依然完璧な回答が見つからず模索中である。
卒業時には、いい報告ができるように精一杯足掻いていきたい。
アフリカ滞在2ヶ月(特にナイジェリア)
ご無沙汰しました。トミオです。
アップデートが遅くなりましたが、7月末〜9月の大半を南アフリカとナイジェリアで過ごし、日本にちょっとだけ帰り、10月頭からマドリードに戻ってきました。
クラウドファンディングで支援いただいた金額が50万円を超え、グループのメンバーも150人くらいに膨れ上がっていたので、常にそのグループに報告・相談しながら活動してました。
アフリカで何を学んだか、得たか
何をやってたかは以下で詳しく書くつもりだけど、とりあえず結論。
今すぐ「これで起業する」というものはみつからなかったし、「アフリカはこれから数年で必ず来る」という確信を得るには至らなかった。でもたくさんの魅力的な人々と知り合い、刺激的な環境で時間を過ごしたことで「今後も長期的な視点でアフリカに関わっていきたい」という思いを強くした。アフリカをより知って、より好きになった。
アフリカで何をしていたか
その1:南アフリカ編
以下の日記で南アフリカ到着したところまで書いてましたが、その後はクラウドファンディングの支援者の方の指示でクルーガー国立公園に3泊4日サファリツアーへ行ったり、ケープタウンではレンタカーを借りて喜望峰へ足を伸ばしたり、ストレンボッシュのワイナリーを見学したりしてました。要するにほぼ観光です。
南アフリカは治安がいまいちなことを除けば生活インフラが安定しており、とても「住みやすそう」な場所でした。一方で「起業」という側面で見ると基本的な需要が満たされており、また国内の雇用を守るために外国人のビザが非常に降りにくくしている等の事情もあり、それほど魅力的ではない印象を受けました。なので、この記事は主にナイジェリアに関してになりそうです。
その2:ナイジェリア
ナイジェリア、すごい場所でした。毎日が驚きの連続だったので、細かいことを書くとどれだけでも長くなるんですが、とりあえず着いた瞬間に税関で賄賂巻き上げられたり、スーツケースから謎の壊れたスマホが出てきたり、Airbnbで適当に取った宿がスラムのど真ん中だったり、色々ありました。その辺の話は別エントリーででも。。
ちなみに滞在した都市はラゴスのみです。
最初こそ、なんかすごいところに泊まってしまい大変だったけど、現地で某社駐在員をしており、たまたまICUの同窓でもあったYさんを紹介してもらい彼の家に転がり込む。駐在員住宅でめっちゃいい暮らしをさせていただきました。。
ナイジェリアでやってたことその1
まずは日本人が経営するスタートアップのお手伝いをしていました。ケニアでお寿司握りに押しかけ、さらにオフィスに寝泊まりさせてもらったケンさんの「アフリカインキュベーター」が資金調達を完了しナイジェリア進出するタイミングだったので、現地入りした同社メンバーと採用に立ち会ったり、一緒にオフィス候補を採用したばかりの営業マンに研修したりしてました。本当はもっと案件・売り上げで貢献できたらよかったんだけど、そこは役立てず。
ナイジェリアはアフリカ最大の1億9,000万人の人口を擁する大国なんだけど、なんと住んでる日本人が30人。「日本人コミュニティに初めて入ってきたスタートアップの人」ということで、その日本人が一堂に会する場に押しかけお寿司屋さんをやったりもしました。
ナイジェリアでやってたことその2
ひたすらIE MBAの先輩にコンタクト取って会いにいってました。
卒業生ディレクトリから突然メールを送りつけた僕に皆すごく親切に対応してくれ、人を紹介してくれたり、車を出して観光に連れていってくれたり、すごく助けられた。しかも、全員が結構高い飯奢ってくれた。「同じ学校に在籍した」という共通点が、こんなに温かい縁を生むのかと、正直びっくりしました。
ナイジェリアでやってたことその3
あとは、LINEグループからの指示を受け水上スラム「マココ」のツアーに行ったり、マーケットを巡って呪いの仮面や太鼓等のお土産を仕入れたり。
今後について
しまった。完全に話が逸れた。
アフリカ1ヶ月半の後日本に2週間戻り、支援者への報告会をしたり、家族で過ごす時間を作ったり。楽しみ尽くした2ヶ月でした。
散々好きなことをした挙句に「次何をするか」となるとまだ定まっていないんだけど、「少なくとも、大きな会社の会社員になるってのはねえな」という思いを強くしました。堪えられん。
一方で、さすがに家族を放置しすぎたので卒業後はもっと家族と過ごすようにしないとなーなどとも思うので、アフリカ全振りというわけにもいかなそう。(ラゴスのアメリカンスクール、年間学費50,000ドルらしいよ)
残された学生生活もあと半年あまり。後悔のないように、人生の次の段階への準備を進めていきたい。
ファンディングプラットフォーム、Polcaを通じ30万円を支援いただきました
トミオ@ヨハネスブルグです。
夏休みにアフリカに出発するに当たり、その費用を賄うべくクラウドファンディングを行いました。約100人の方からご支援を頂き、総額301,800円の資金ができました。
同時に特典として用意したLINEグループでは、色んな相談をさせてもらえる100人強の助言者を得ることができ、僕にとっていいことしかないクラウドファンディングでした。
数年前から、憑かれたようにアフリカアフリカ言い続けてきた僕ですが、言い続けた結果こうしてアフリカに比較的長期で滞在して夢を追うことができ、また多くの方からの応援を頂け本当にありがたい思いです。
引き続き頑張ります。