辺境系キャリアのレシピ 〜新卒即無職→海外就職→スペインMBA→?〜

34歳男性、2人の子持ち。2018年1月よりマドリード・IE Business SchoolのMBA学生になります。新卒即無職→バックパッカー→シンガポール就職→日本で外資IT企業日本法人立ち上げ第一号営業→MBA@スペイン

夏休み(8〜9月いっぱい)の過ごし方

夏休み(8〜9月いっぱい)の過ごし方

僕は「〜の業界に転職したい」とか「大企業で出世して役員になりたい」とかそういう動機がまったくないので「Why MBA?」に対しては「人生の次のステップに進むために、1年半の猶予を作るため」という答え方をしている。

じゃあその1年半で何がしたいのかというと「アフリカで今後数十年のキャリアを作るためのベースを築くこと」である。そのためには、8月、9月の夏休みの使い方が鍵を握る。夏休みは、アフリカで過ごす。

どこの国へ行くか?

アフリカでビジネスを立ち上げるとするなら、現時点で考えられる市場は3つ。3カ国とも英語圏だし、2017年のスタートアップ投資額のトップ3である。

ケニアは昨年末にナイロビへ行って雰囲気掴めたので、夏休みは南アとナイジェリアへ行きたい。

何をするか?

正直、実際行ってみたら色々変わると思うけど、特にナイジェリアのラゴスには1ヶ月留まり、以下の3つの可能性を試してみたい。

  • 寿司屋(屋台形式とケータリング形式でニーズ調査)
  • 人材紹介業(これから増えてくるテック系人材を想定)
  • 現地独自のニーズを解決するためのテックスタートアップ

考えないといけないこと

  • 早々にキャッシュを埋めるようなビジネスをまず1個作る
  • その上で、増え続ける人口のレバレッジを効かせられるようなサービスを作る
  • ビジネススクール卒業までの間に、出資を得て自分のビジネスで食っていけるようにする

あとマジで考えないといけないこと

今のところ日本にいる家族をどうするか。
たとえばナイジェリアでビジネスできる基盤ができたとして、果たして家族を連れていけるか。ちなみにラゴスは、The Economistが出してる「The Global Livability Report 2017」で世界140都市中ワースト2位である。(ちなみに1位はシリアのダマスカス)
本当は日本とアフリカを行き来するようなビジネスにできるといいけど、最初の時点でそれは高望みだしなあ。悩ましいなあ。

就職については、卒業時に何もできてなかったら考えることにする。まずはアフリカに軸足作ることを最優先で動いていく。

就職したくないでござる。

就職したく、ないでござる。

親友がMBAプログラムをドロップアウトした

入学直後に「俺は自分のスタートアップを前に進めるためにここに来たんだ」って言い切っていた同級生が、Term 1終了と同時にドロップアウト(退学)しムンバイに帰った。「自分が求めていたものとMBAにあるものは違った。俺は自分の会社とプロダクトに集中する」と言い残して。僕は一番仲のいいやつをクラスから失った。
同級生たちは彼の決断を止めようとしたし、あらゆる人が彼を「Crazy」だと言った。でも僕は彼が羨ましかった。お利口な学校を出てお利口なキャリアを選ぶこと以上に、自分が本気で取り組みたいことがあり、そこにコミットできていることが。

地位じゃないし、金じゃない

同級生の多く(というかほぼ全員)は、MBAを取得した後また就職し、既存の企業の中で偉くなることを念頭にビジネススクールに来ている。一方で僕はといえば、既に枠組みのある企業で働くことに一切の魅力を感じられない。
日本での最後の数年は年収が 平均1,500万くらいあったので割と贅沢な生活ができて、自転車とかカメラとかいろんな趣味を始めてみたり、靴やネクタイをいいものにしたり、ロレックスを買って着けてみたりしたがどれも割とすぐに飽きてしまった。稼ぐ金額が増えたところで、僕の「乾き」が癒えるとは思えない。
なお、ロレックスは日本を出るときにメルカリで売って、今はApple Watchを装着している。

自分の人生をここで燃やしてもいいという「何か」が欲しい

たぶんどこに就職しても「他人の人生を生きている」という思いから逃れることはできないと思う。起業一本に絞って、それだけを追って残りの1年強を走るっきゃない、という思いを強くしている。
起業に関して言うと自分がCEOにならずにCo-founderとして他の役職で参加する方法もあると思うんだけど、能力の方向性という意味でも、そもそもなんで起業するのか、という点でも、自分が旗振りやるしかないわなーと思う。

自分の怒りはどこにあるか

ここ最近、考えていることである。たぶんここに、他人ではなく自分が、あえてそれをやらないといけない理由があるんだと思っている。10代の頃から思ってるのは「10代の少年少女が、将来を楽観的に見られない状況は許せない」ということで、そのためのロールモデルになる、というのが20代から30代にかけてやってきたことだったし、ある程度は達成できたように思っている。(キャリアとしてはだいぶ特殊だけど…)
他に怒りの要素、世界に対して訴えたいこと、自分が変えたいことってあるかなと思うと、それほどにはない気がする。形になってないけど、全身全霊懸けられるのはその辺りかなあ、という気がする。

ここから

学校の成績は、本当にどうでもいい。ただ「成し遂げる」ために学べることは学び尽くしたい。卒業までに離陸できる体制を作る。そのためには夏休み前にはモデルとプランを粗方作って、夏休みに一気に開発できるようにする。次の3ヶ月4ヶ月はまたとても忙しいと思うので、大事なことにフォーカスして過ごすようにする。

MBAにいる人のタイプについて

IE Business Schoolは「Entrepreneurship」を売りにしている学校で実際「起業家精神」に関するクラスがあったりするんだけど、「強烈な起業家精神」のある人が来る場所というわけではないんだなということもわかってきたのでまとめ。
一方で賢くてナイスガイで将来のネットワークになりそうな友人はたくさんできると思うので、MBAが「目的に合致した」ゴールになるととてもいいよねと思います。

なお僕は基本的に「自分の将来の方向性を固定してしまう前に、1年半足掻いてみる期間」だと思ってるので特に失望も安堵もありません。

基本的に皆育ちがよく、賢く有能

僕のワークグループは「ドイツ人、イタリア人、アメリカ人、アルゼンチン人、インド人、日本人の僕」という公正なんだけど、何の科目について話していても皆理解が早い。そしてレポートやプレゼンテーションが課されると、いい結果を残すためにとても頑張る。
僕は英語力不足、かつ理解も早くない上、興味のない科目だと全然やる気が出ないので皆を見ながら「すごいなあ」と思っている。「彼らは優秀なGeneral Managementになるんだろうなあ」と思いながら見ている。

生粋の起業家タイプはMBAを取りにこない(一部の例外を除いて)

「卒業後は即起業する」という人間にはほぼあってない。ほぼ、というのは、僕のクラスの、僕の一番いいやつがそのタイプだからである。入学直後のオリエンテーションでたまたま隣の席になったときに意気投合して、今も一番仲がいい。彼は「IEのリソースを利用してローンチとファンドレイズまで持っていく。資金調達さえできたらビジネススクールは中退する」と言っており、僕の知る中で最もラディカル。

Job Seekerに紛れて、ファミリービジネスの大金持ちが

基本的に皆卒業後はまたいい会社で働こうと考えてる感じなんだけど、「とにかく遊びまくるためにMBA来てる」みたいな感じの人が散見される。彼らは実家がめちゃ太くて卒業後の職やお金の心配がないので、在学中は遊びまくり、「卒業後すぐに仕事をみつけないといけない」という焦りがない。実際、就職先を決めずに卒業していく学生はそこそこの数に上る模様である。

僕はどうするか

僕の場合は実家も太くなければ子供2人と住宅ローンも抱えているので、とにかく金を作る必要がある。一方で、会社員としての適性の低さも日々ひしひしと感じるため、何とかして「日本に戻って再度会社員になる」以外の道に辿り着きたい。そのための苦しみの道が今後のMBAライフである。

入学して2ヶ月。勉強についてと、卒業後のキャリアについて

IE Business Schoolに入学して2ヶ月が経ちました。

正直、順調なことはほとんどなく、しんどさが募りますがありがたいしんどさ。せっかくなので備忘録的に残しておきます。

学校での勉強について

英語で勉強する、ということのしんどさ

僕の場合、短期間の勉強でGMAT 710点を取ったのはそこそこ自慢だったし、シンガポールで4年間暮らしていたこともあり英語でのコミュニケーションも大丈夫、と思っていた。が、これがめちゃきつい。

会計みたいな、最低限の心得はあるつもりだった科目も、同級生たちより圧倒的に理解が遅い。グループワークの際などは相当部分、グループメンバーにおんぶに抱っこ。

議論をするにしてもとにかくペースが早い。僕が言葉を挟もうとしてる間に随分先へ進んでしまっているようなことがけっこうある。

生まれ育った文化とパーソナリティでコミュニケーションスタイルが違いすぎる

僕のワークグループは僕を含めて6人なんだけど、その中にドイツ人(コンサル出身)とインド人(起業家・ボツワナ育ち)がいる。彼らは議論の中で「NO」と言うことに一切の躊躇がない。「NO!」から始まる議論の応酬が10分くらい続いた時には「なんて日本人と違うんだ」とポカーンとしてしまった。幸いみんな協力的だし、僕もどういうときにどういう形で自分の主張をしたらいいのかだいぶ見えてきたけど、本当にインパクトがあった。

とはいえ、とても良いストレッチ環境である

英語だけでもふらふらになっているところに、Diversityで殴られている感じである。

プレゼンがある日などはスクリプト全部作って、早朝に起きてひたすらボイスレコーダーと睨めっこして自分のパートを練習したりしている。

日本人学生の間では「単に科目を勉強するだけなら、グ●ービスとか行く方が全然身につくよねー」と笑いながら話すんだけど、留学ならではのしんどさと楽しさは、しっかり味わっていきたい所存。

キャリアの選択肢について

海外での就職先をみつけるのは本当に大変

学校は積極的にキャリアのセミナーを開いてくれるし、インターン先の情報なども流してくれるんだけど、ヨーロッパでのインターンシップに応募してもバシッとお断りされるケースが多数。面接にさえ呼ばれない、的な。。アフリカでの求人を見ても「現地マーケットの理解」みたいなのが入ってることが多い。そりゃそうだ。

たぶん正攻法で攻めてもダメで、小さな糸口をみつけてそこから手繰り寄せないといけないのだと思う。ここはまだ探っていく。

日本に帰国して就職の選択肢も、魅力的なものは少ない

日本に帰るのも、選択肢の一つではある。とはいえ、海外MBAを持って帰ることで何かしらの利点がある就職というのは少ない。MBA生向けのキャリアコースを持っていたり、MBAを持ってることで給料の上乗せをしてくれる企業などはごく一部である。一部企業はインターン時に高額のお小遣いをくれたりしてとても魅力的だが、狭き門である。一応、「ここなら日本に帰って働くとしても選択肢として考えられる」という会社のインターン選考を進めてるけど、結果どうなるかは見えない状態である。

起業、という選択肢は?

そもそもその可能性を探りに、目指しにこちらに来ている。同級生のほとんどは卒業後就職するつもりでこちらに来ているが、中には「起業しか見てません」みたいなクレージーなやつもいる。6月、7月に行われる「Lab Period」が大きなポイントなので、ここに向けて今用意しているアイデアやプロトタイプをリファインしていくようにしたい。

改めて、この先どうするか?

あっという間に2ヶ月が過ぎた。その中でわかってきたこともあれば、明らかに出遅れていることもある。後悔のないように、今すべきアクションを取っていくようにしたい。

入学して2週間、どんな感じか

ビジネススクール入学2週間

正確には2週間と3日が経ちました。入学してみると「あー、こういう感じかー」と思うことも多く、ちょっとこの機会にまとめておきたいと思います。

入学して2週間、どんな感じだったか

カオス…その中の不思議な連帯。

僕のクラスだけで、55人くらいのクラスに30国籍の学生が在籍。年齢も20代半ばから30代半ばまで様々、業界もやってきたことも違う、と言う不思議な環境。なんだけど、同じ学校を選んで時間とお金を投資してやってきた同級生、ということで距離感は近い。
せっかくなので、何枚か写真を共有。

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旧都市セゴビアでの入学式。僕の所属するセクションの50人強。

f:id:tomyuo:20180125014917p:plainマドリードの街中にあるMBA用キャンパス、MM31。

 

f:id:tomyuo:20180125014938p:plain入学翌週に開催されたパエリアコンテスト。

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授業中はこんな感じ。ちょうどいい規模感だと感じる。

MBA生、パーティー好きすぎ…

噂には聞いてたけど、パーティーの量が多い。しかも一度パーティーやるとみんな平気で日付変わるまで飲んでるし、朝まで行ったって話もよく聞く。僕はそこまで付き合えないので、だいたい日付が変わるあたりで帰る。

入学して感じていること

みんな英語上手いわ…

僕は海外で働いてたこともあり、日本の同僚の中では頭抜けて英語使える方だったけど、MBAのクラスを見渡すと、どう見ても一番下手である。皆が言いたいことが完全にスムーズに出てくる状態で英語使ってるので、「考えながら喋ってる」とペースについていけない。
いい特訓の機会だし、こんだけ英語漬けになれるのはありがたいことなので頑張っていきたい。

課題の量は多い、でも別に卒業するだけなら問題なさげ

各クラスの予習・復習には結構な時間を取られる。特に授業で使うケースをガッツリ読むと相当な時間がかかる。でも別に読んでなくても正直何とかなると思う。
各コースごとに個人のレポートとグループプロジェクトもあるし、それに加えてクラブ活動があったり、旅行の誘いがあったり、あれやこれやで時間がガンガン削られていく。しかも頭脳労働してるから睡眠を取らないと体がもたない。

優先順位、優先順位、優先順位…

なので、大事なのは「何を捨てるか」だと思う。僕の場合は転職でキャリアアップしたいと言う気持ちもなければ、かといって前の会社に戻るわけでもないので、勉強は落第しない程度に頑張りつつ、自分のビジネスを形にしていくところに時間を割きたいと思う。幸い既に自分のビジネスを持っていて資金調達の準備をしてるような同級生も周りにいるので、そういうのはとても刺激になる。

寿司、大人気

初めて会うから「おまえがSushi chefか!」って覚えられてることが何度かあった。先日やったワークグループ(セクションを6-7人のチームに割ったもの)のディナーでロールの作り方を教えてあげたら盛り上がった。
下の写真は、アルゼンチン人同級生がロールを作っているのをアメリカ人、ドイツ人、インド人同級生が見ながら酒飲んでるところ。

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ここからの学生生活について

勉強はほどほどに頑張る

今後に役立つことは身につけておきたいし、この多国籍な環境でリーダーシップの形を学ぶことはとても良いと思う。半面、勉強に時間を割きすぎるとなんのために1年半の猶予期間を確保したのかがわからなくなる。あくまで自分の次のステップのために時間を使う。

パーティーや飲み会への参加は効率を考えてやる

家の近くで開催されているやつにちょっとだけ顔を出す、むしろ自分で開催して話したい人を集めるなどの方法で効率的にやらんといかん。

とにかくビジネスの種

何をやるかが固まれば、あとは仲間を探すだけである。なんとなく、このあたりになら人生懸けられるかな、というのは見えてきたので、あとはそれの実現の形をもう少し固めていくだけである。

治らない大人の中二病と34歳子持ちのMBA留学について

2018年になった。1月18日にIE Business Schoolの入学式があり、僕は正式にフルタイムの学生になる。マドリードでの学生生活は1年半続く予定だ。2019年7月に無事卒業すると、僕の手元にはMBAを含む2つの修士号と1,000万円近い借金が残る。実際には3,500万円の住宅ローンもあるので、返済はもうちょっとハードな感じになる。

なぜ、34歳・2人の子持ちで日本にマイホームまで建てた僕が、仕事を辞め海外で学生になったのか。在学中には何をして、卒業した後どうするつもりなのか。この選択にはどういう意味があったのか。この機会に棚卸しておきたいと思う。

「何も成し遂げず年老いていく自分」への焦り

「どうして留学するのか」という質問に対し色々な答え方をしてきたけれど、何が一番の動機だったかというと「焦り」だ。何への焦りかというと「何も成し遂げないまま30代を過ごし、そのまま40代へ突入することへの焦り」。ちょっとお利口なサラリーマンとして、平々凡々と生きていくことへの焦り。

2012年末に4年間のシンガポール生活を終え日本に戻ってきたとき、まだ焦りはなかった。当時僕は29歳。「外資スタートアップ日本法人の立ち上げメンバー」としての仕事はすべてが新しく、面白かった。入社から2〜3年は、あっという間に過ぎた。営業職としては良い結果を出すことができ、毎年二桁%の昇給があった。2013年の年収がたしか860万くらいで、2年目からは1,000万を超えた。2014年5月に長男が生まれ、ちょうど同じくらいのタイミングで千葉に家を建てた。

焦りが生まれ始めたのは働き始めて3年がたつころ、2015年の末くらいからだ。2015年の10〜12月の四半期は売上が思ったように作れず、僕は4時起きの始発通勤を3ヶ月繰り返した。その四半期のノルマは落としたが年度前半の貯金のおかげで2015年の年間ノルマは達成し、僕は「APAC Commercial Top Sales」という賞をもらった。2016年の2月に、会社がご褒美旅行でハワイ・マウイ島のリッツカールトンに連れていってくれた。
僕は燃え尽きていた。燃え尽きた状態の僕は、プールサイドでマイタイを飲みながらぼんやりと考えた。「自分はこれを繰り返して30代を終えるんだろうか」「これを繰り返した先の人生には何が待っているんだろうか」。

平たく言えば、一定期間ごとにリセットされる売上ノルマを追い続けることが営業お仕事である。ノルマを達成し続ければ、見返りに高い給料や昇進が与えられる。外資の営業として登り詰めると「Country Manager」や「VP of Sales」といった肩書きの仕事をすることになる。そのくらいのポジションになると株式やストックオプションを併せると年収が1億円を超えることも珍しくはないし、スタープレイヤーは一営業としてそのくらいの金額を稼いでいる人もする。
僕は思った。「僕はトップオブトップにはなれないかもしれないが、そこそこ稼ぎの良いサラリーマンして家族を養っていくことくらいはできるだろう」「しかし、営業のプロフェッショナルとして日本で生きていくというのは、自分のやりたいことなのか?」「その生き方に満足できるのか?」。答えはNOだった。

目の前に続いている道が「これじゃない」に変わった瞬間だった。

突然の天啓「アフリカ」

高い給料も、組織の中での出世も、自分の血がたぎる対象ではない。だとしたら、何をしたらいいのか?国内での転職や起業で、僕の厨二病は満足させられるのか?

それらは早々に候補から消えた。転職といっても、給料を維持しようと思ったら同じ業界で同じようなプロファイルの同僚と同じようなお客さんを相手に商売することになる。会社や商材が変わるだけで同じことの繰り返しだ。そもそも、「日本で」という時点でどうにもワクワクしない。

ふと、2014年にシアトルのカンファレンスで見た、ハンス・ロスリング氏のキーノートを思い出した。彼が巨大スクリーンに映し出した人口動態のアニメーション。「日本の人口は減り続ける。中国やインドの人口は増え続けるが、人口増加のカーブは次第に緩やかになる。アフリカの国々だけが、21世紀を通じて爆発的に人口を増やし続ける」。

アフリカ。子供が減り、老人ばかりになっていき元気を失う日本と真逆の場所。ここで今後数十年のキャリアのベースを作るのが、自分にとっての次のチャレンジだと直感した。図書館に行き、アフリカに関する本を大量に借りてきた。毎週末、図書館にに通った。日増しに、アフリカへの思いが募っていった。

ビジネススクールという「アフリカへのステップ」兼「失敗時の保険」

いくらアフリカに憧れたからと言って、いかんせんアフリカは遠い。とりあえず南アフリカへ旅行で行ってみようと2週間の有休申請をしたが、上司に「数字を追わないといけないのに2週間も休めるわけあるか」と却下されてしまった。

勉強をしたことでわかってきたこともあった。アフリカには、日本にいたら想像もできない問題が山積みである。地域による発展状態の違い、独裁と汚職、民族紛争、インフラの未整備、不十分な教育環境と教育水準、恒常的に高い失業率…僕がポンと入っていって、すぐに家族を養える稼ぎを作れるとは考え難い。

そこで思い当たったのがビジネススクールへの進学だった。ビジネススクールであれば「MBAを取るため」という大義名分でキャリアの猶予期間を得られる。この期間に、どうやってアフリカにチャレンジするかの計画と検証ができる。海外のビジネススクールであれば、地理的にもアフリカに近くなる。
また、アフリカへの挑戦に失敗したとしても、いわゆる「トップスクール」でMBAを取っておけば高給のサラリーマンに戻ることができるという選択肢が残る。(この「トップスクール」というのが重要で、最初とても興味のあったUniversity of Cape Townは候補から外さざるをえなかった)

決めてしまえば、あとはやるだけなので簡単であった。幸い勉強はそこそこ得意なのでIELTS, GMATといった試験はどうにかなったし、エッセイや面接なども仕事をしながら睡眠を削って乗り切った。

さて、僕は何を「成し遂げる」のか

そんなこんなで、2017年5月に第一志望のIE Business Schoolへの合格が決まり、12月には正式にマドリードに引っ越した。ここからの1年半で、30代後半以降の人生の大枠が決まる。家族を養いつつアフリカへの基盤を整えられるのか、それとも日本に戻ってサラリーマンを続けることになるのか。

それはそれとして、元々の問いを忘れてはいけない。僕は何を「成し遂げる」のか。
僕がアフリカで事業を始め、それがアフリカの人々の生活を潤し、僕が金持ちになったとして、それは「何かを成し遂げた」と言えるのか?そうでは話ではない気がする。

「何かを成し遂げたい」「何者かになりたい」普通は成長の過程で大なり小なり折り合いを付けていくはずの何かを、おっさんになっても捨てきれないと本当に大変だと感じる。

ただ、具体的な方法はわからないけど、なんとなくこういうことがしたいんだよなーというのはある。「僕の子供たち、僕の子供たちと同世代の子供たち、これから生まれてくる子供たちが、自分の将来を明るく思える未来を作ること」「大人になるって悪くないな、自分も頑張ろうと子供たちが思えるような後ろ姿を、僕を含めた大人が見せられる状態でいること」。

僕が座右の銘にしている言葉が2つある。

  • If you put your mind to it, you could accomplish anything.
  • Nothing ventured, nothing gained.

この2つの言葉を組み合わせると「欲しいものがあるなら、リスクを取って挑戦するしかない。そしてそれが心からの願いなら、必ず実現できる」となる。
僕は死ぬまでこの言葉を信じ続けたいし、人から助言を求められたときに同じことを伝えられる人間でありたい。

「成し遂げる」というのはきっと生き方のスタンスの問題で、生きている間に何をしたのかはその装飾なのだと思う。そういう意味で、苦しい「何かを成し遂げるための旅」は死ぬまで続いていく。せめて楽しい顔をして進んでいけたらと思う。

留学で失うものと得るもの

僕みたいに「コンサルに転職してたくさん稼ぎたい」みたいな動機を持たない人間からすると、金銭面でのリターンは正直見えない。家計の貯金1,000万を使いきり、追加の借金をこさえ、稼がない期間を2年近く作り、いいとこなしである。さらに、子供の世話を妻と妻の両親にすべて任せスペインで過ごすことで、家族には負担をかけるし僕は家族と一緒にいられなくて本当に寂しい。自分は一体何をしているのかと思うこともある。

そうは言っても今の自分に満足しているのは「目の前にある道を惰性で進んでいく」という選択肢を選ばなかったこと。リスクを取って、新しい生き方を選択したこと。賢い選択肢とは言えないけど、人生迷子としての筋を通したこと。

総括と今後への抱負

1年半という期間は、本当にあっという間に過ぎると思う。終わったときに、この選択が自分の人生や家族の人生にとって良いものだったと思えるよう、優先順位、即ち時間の使い方を意識して活動していきたいと思う。家族をはじめ多くの人に多大なる迷惑をかけて生きることになるが、どうにか30代をサバイブして、後輩たちに「やってみなよ」って言える自分でいられたらと思う。

空飛ぶ寿司職人@ナイロビ。そしてお魚のハンドキャリーについて。

マドリードから魚を持参してナイロビまで飛び、在住の日本人起業家・永井健太郎さんのオフィスにてお寿司を握ってきました。
東アフリカで活動している日本人起業家を中心に10人ほどが集まる場で、良い出会いと刺激的な話を伺えて非常にハッピーでした。またマドリードから買ってきたマグロのクオリティは「アフリカでは普段食べられないクオリティ」と皆さんに言っていただき、喜んでもらえよかったです。

魚の空輸に向けてやったこと&輸送方法

マドリードからナイロビまで魚を運びたい、ハンドキャリーしたい、と思ったものの、どうやったらいいのか情報がうまく見つからず苦労しました。
魚自体は検疫に引っかからないので運び放題なのですが(世界の海は繋がってるから禁止しても意味がない、という理屈だそう)、どうやったら「新鮮な状態で」「密封して」「形を崩さずに」輸送できるのかがイメージできなかったため試行錯誤しました。

魚&魚を詰める箱の入手

マドリード市内の日本食屋も魚を仕入れにくるという、Chamartin Market2階の魚屋さん。
ここでマグロ・サーモン・エビを入手する。ちなみに僕はスペイン語全然できないので、なかなか辛い。
手前に見えるのがマグロの赤身&中トロ部分。ちなみにマグロは、スペイン語ではAtún(アドゥン)と言う。1kgあたり45ユーロ。とはいえ現地の人は赤身と中トロを区別しているわけではなく、ごっちゃになった状態でスライスして販売される。それとは別に大トロも購入。そっちはたしか60ユーロちょっとのキロ単価だった気がする。エビも意外と高い。日本みたいに「車海老」とか「ブラックタイガー」とか書いてないのでどのエビを買ったらいいのかわからない。とりあえず、値段がそこそこで、大きすぎないから数が買えるやつを購入。

お店のおいちゃんに、箱(caja)をもらえないか聞いてみたところ、ちょうどいいサイズの発泡スチロールの箱をくれた。嬉しい。

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Chamartin Marketの魚屋さん

 

パッキング

家に戻り、魚を詰める方法を考える。ポイントは「冷たい状態で」「なるべく形を崩さないように」「冷たい状態で」輸送すること。
アイスキューブの袋を詰める方法も考えたんだけど、それだと氷が大きすぎて魚が入らない。一方で、魚だけで入れておくと冷たさ・鮮度キープが不安。そこで考えたのが、複数のサイズの水ペットボトルを凍らせて、魚の間に詰める方法。

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魚をラップで三重巻きにしてして

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箱に詰める。なるべく隙間ができないよう、隙間に凍らせたペットボトルを入れる。合計3本。


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箱に蓋をしたら、ラップで縦横両方からグルグル巻きにする。

 

輸送

そしてこれを、モンベルの60Lペットボトルに詰める。中で動かないよう、隙間に色々詰める。今回は使った箱のサイズが絶妙なのがよかった。水が入ってる以上機内持ち込みはできないので預け入れである。

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入れてしまえば、あとは運ぶだけ。

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めっちゃ寄ってるけど魚は無事。氷も完全には溶け切っておらず、ちゃんとひんやり。

魚の輸送振り返り&改善ポイント

初めての魚の空輸、どうにか成功裏に終わらせることができ安心しました。
一方で、周りの人と話すと、そもそも魚を飛行機で運べることを知らなかったりするし、僕もいざやろうと思ったら一般的な方法をネット検索で探せず苦労しました。そこで、このブログの本来の趣旨とはわりと異なる気もしますが、まとめておこうと思うに至った次第です。

ちなみに、知人の数少ない数少ない経験者に聞いたところ、「ソフトタイプのクーラーボックスと保冷剤があるととても捗る」とのことだったので、今度母が日本から来るときにサーモスのクーラーバッグロゴスの保冷剤を持ってきてもらうことにしました。空飛ぶ寿司職人として、引き続き頑張りたいと思います。

その他、当日の写真など

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やっぱ白衣あるとそれっぽいよねと、持参してきた。

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大トロ。脂のノリ方が半端なかった。

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当日の様子。楽しい会でした。

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トロたく。技術はまだまだだけど、味はトロたくな感じでした。